インドシナ半島史㉔<最終回> ~現在のインドシナ半島~
ベトナム戦争からカンボジア内戦・ラオス内戦・ベトナム軍のカンボジア侵攻・中越戦争と続いた1970年代から80年代にかけての一連の紛争により、多くのインドシナ難民が発生した。海へ逃れた人々はボートピープル、陸伝いに逃れた人々はランドピープルと呼ばれた。難民の総数は144万人に達し、そのうち約130万人がアジア地域の難民キャンプを経て、米国・オーストラリア・カナダ・フランスなどの第三国に定住した。日本でも1979年に兵庫県姫路市と神奈川県大和市に定住促進センターが設置され、日本語教育や職業の斡旋、定住後のアフターケア等の支援にあたった。1981年には日本が正式に難民条約に加入。90年代末に両センターがその役目を終え、2005年に最後の受け入れが終了するまでに、11000人を超えるインドシナ難民が日本への定住を果たしたのである。
その後、インドシナ半島諸国は大きく経済成長を遂げた。もともと高い潜在力を持った地域である。また、第三国に定住した人々も多くはその地に根を下ろし、現在ではその子供たちの世代も含めて、それぞれの場所で多文化共生の芽を育みつつある。
かつて戦火に焼かれたベトナムは、1980年代のドイ・モイ(刷新)政策の成功もあって、市場経済を導入した社会主義国の旗手として、グローバル経済の場においても大きな存在感を示しつつある。同じく社会主義国のラオスもベトナムに倣って市場経済の導入へと舵を切った。内戦に苦しんだカンボジアは、世界遺産のアンコールワットを観光資源としながら、豊かな農業生産力を活かして目ざましい復興を遂げている。長らく軍政を敷いて国際的にも孤立していたミャンマーでは、2010年にようやくアンサン・スーチー氏の自宅軟禁が解かれ、2015年には彼女の率いる国民民主連盟(NLD)が第一党となり、議会制民主主義への移行を果たしたものの、2021年には再び軍部によるクーデターが起こり、再び軍政へと逆戻りしてしまった。少数民族であるロヒンギャへの迫害と難民化という問題も残されている。1997年のアジア通貨危機による打撃を乗り越えたタイでは、政治面では相変わらずクーデターが続き、2006年には不正疑惑で批判を浴びたタクシン首相が失脚して軍部による戒厳令が敷かれる騒ぎとなったが、経済的には安定した成長を続けている。ミャンマーの状況は依然として好転の兆しがなく、個々に見れば問題は多々あるが、総じてインドシナ半島の経済は好調であり、外国人労働者の受け入れ問題における摩擦はあるものの、日本との関係も良好であると言ってもいいだろう。
第二次世界大戦中の不幸な歴史があるにも関わらず、インドシナ半島諸国と日本との関係が比較的良好であるのは、やはりその後の復興援助や内戦終結後の支援や難民受け入れなどの地道な協力を、官民双方で続けてきた結果であると言える。現在においてもベトナムなどの東南アジア諸国から日本への就労や留学を希望する人々が多いのも、単なる経済的理由だけではないだろう。インドシナ諸国と日本との友好的な関係は、今後も双方ともに地道な努力を続けながら維持していくべき素晴らしいものだと思う。そして、負の歴史を乗り越えて築き上げてきた友好関係が、他の国々とも作り出せないはずはないとも思うのである。