心のかけら 星のかけら
「どれほど深く愛したか、それがはじまりであり、それがすべて。そう言っても過言ではない」と天使は言う。
天使は、一冊のノートを、胸の前に大切に携えている。
青写真か、通信簿のようなもの、との予感がよぎるが、あながち間違ってはいない。
そのノートの、一頁一頁には、人間の一人ひとりの、そのひとの愛した〈愛の記憶〉が、宇宙語で自動筆記されていくのだ。
モノクロームの紙面。
万年筆で書かれる筆記体のような文字。
何者かの流麗な手書きのよう。
人間には解読できない。
頁の真ん中には、縦長の四角いマスがあり、幾何学模様のようなイラストが描かれている。
それは、人間の胸部の……
愛す者の胸のうちの……
いわばレントゲン写真のようなもの。
こちらは、鮮やかな色彩。
∞
人間は天へゆくと、たくさんのロッカーのなかから、自分のロッカーを探す。
自分のロッカーなのに、人間は、その鍵を持っていない。
自分から何かを預けるのではなく、ロッカーがすでに預かってくれている。
人間は、空きロッカーのように鍵がついているロッカーを開ける。
なかは空ではない。
扉を開けると、人間は、天使のノートのレントゲン写真に映されていたもの、そのものの〈立体〉に出会う。
まるで宝石の原石のよう。
それは、自分の愛したものの総体、愛したことの結晶。
ゆえに、いわば、まさに、宝石の原石なのだ。
あるひとのものは、縦長の半円形のアメジストのクラスターのようであるし、あるひとのものは、いくつもの柱が立つ緑柱石のようである。
天空の街の模型のような水晶の原石の形をして、オパールのような虹色を、きらめかせるものもある。
そのなかには、透きとおる箇所もあれば、薄曇る箇所もあり、マーブル模様を描く箇所もある。
そうして、人間は、万華鏡のなかを覗きこむような……
ステンドグラスの建物のなかにいるような……
色光に包まれる体験をする。
眼にしたらすぐに、その色光との同化と、一体感を感じる。
懐かしさを覚えるより先に、眼にした瞬間から、そのものと化している。
かつては、そのひとそのものであったものなのだから、もっともなことだ。
しかし、それはもう、そのひとの胸にはない。
もはや胸にないからこそ、こうして、まみえることができる。
ひとは、自分の心の結晶が、宇宙に明け渡される直前、ひととき、ロッカーのなかのそれと再会できる。
それは、ほんの僅かな時間だ。
結晶の形と色と光に、しばしうっとりとしたら、もう、ロッカーのなかへとかえす。
一度鍵を閉めたら、扉は永遠に開かない。
ひとは、そのときにはもう、ひとりでに、それを……
扉が開かないことを……
識っている。
それでも、不可思議にも、名残惜しい思いはない。
未練もない。
そして、鍵は、かけたと同時に、さらさらと光る砂になって消滅する。
そのあと、ひとが愛したものの総体……
愛したことの結晶……
心のかけら……は、星のかけらになり、星の光になる。
ゆえに、星を眺め、星に生きる者は、ありとあらゆるひとの心を、おのれの心のうちに感じとるのだ。
そうして、愛を見晴るかし、愛に包まれて、いまにも生きる。
いまにも愛のなかに在る。