透明な手

 大学生の頃、少し気になる人がいた。言葉をかわしたのは、夏休み直前の教室、ほんの僅かな時間だった。「この人とは、もっと話をしてみたい」と思った。彼も、そう思ってくれたらしかった。わたしたちが意気投合したのは、「歌で地上を天国にしたい」「言葉で世界を美しくしたい」という近しい想いだった。彼は音楽活動をしており、わたしは詩を書いていた。いま思えば、青い。青い檸檬のように、苦い。

 「秋には、ライブハウスで演奏をするから、聴きに来てよ。また連絡するね」

 それきり、彼からの連絡はなかった。どうせまた会えるからと、こちらからも連絡しなかった。夏休みが明けて、彼を探した。でも、見つけられなかった。

 それとなく、クラスメートに訊ねたら、「彼、死んだって」と聞かされた。絶句した。

 さらには、「自殺するなんて馬鹿だよね」とも聞いた。明らかに、嘲笑を含む声色だった。耳を疑った。震えるほどの憤りを覚えた。即刻、彼女とは、沈黙のうちに絶交した。「おまえが彼を殺したんだ」とすら思った。死者を、自ら生きるのをやめるくらいに苦しみ抜いた人を、あざ笑うなどありえない、と。(過剰反応だったとは思う。しかし、その前年も、わたしは身内を自死で亡くしていた。若さも鑑み、自分を許したい)

 心がぐちゃぐちゃだった。涙は出なかった。悲しかったが、うまく悲しめなかった。深く悲しめるほど彼を知らなかったし、関係も浅かったからだろう。しかし俄に、そのことを恥ずかしく思った。(いまでこそ、悲しみは比べられないと思えるが、当時は、悲しんでよい、あるいは悲しむべきは、ご家族であり、同じクラスの一員でしかないわたしではない、と思っていた)

 恋心とも呼べない心は宙に浮き、戸惑いと混乱のまま、帰途についた。ふわふわとして、自分が自分ではないような心地だった。

 自宅の最寄り駅に着き、改札を出て、ふと見上げると、空が高かった。秋の空だった。雲が大きな翼のように見えた。そもそも世界は美しかった。

 「どうして」

 いのちとは、何故を問えるものではないのに、空を仰ぎ、彼を想い、思わず呟いていた。その瞬間、不意に、右手を握られるような感覚があった。驚いて右を向いたが、傍らは透明だった。ハッとした。「彼の手だ」と思った。咄嗟に握り返した。「世界の中心はここにある」と思った。

 一人が、片方の手を握るだけなら、それは拳だ。傍から見れば、わたしは、拳を固く握っているように見えただろう。しかし、真実は違う。わたしの手を、拳にはしない透明な手があった。浮遊した心を、地上に引き戻した手でもある。握手であり、合掌でもある。やはり世界の中心だった。


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