ながい夜と自由の星と愛の月
山師が、小さな火を灯し、声を潜めて話すのを、地元民の野次馬の一人として、うんうんと頷きながら聴いていた。
驚いていた。
おそれもあった。
それは、山師の語っている「事故」に、実は、わたしも一枚噛んでいるからだった。
あたりの闇が一層濃くなり、襲ってくるように感じられた。
罪悪感に苛まれた。
「託言を伝えただけ」と言えば、それまでにすぎない。
しかし、伝えた男が、死んだ。
その託言を、山師は、一言一句、たがわず言った。
どこで、どうして、知ったのだろう。
おそろしかった。
託言の通り、忠実に、男は死んだ。
そして、「死んで償う」という願いを叶えたのだと思う。
運転中、急坂から谷への転落、河原での炎上。
現場は、事故の多い山道であり、事故防止対策の嘆願書が出されていた箇所ではあった。
だから、見立ては、当然、「事故」だった。
運転者の過誤か、ごく稀にブレーキの故障か。
しかし、真実は違う。
「彗星が見えるのは、あと数日のうち」と、けしかけたのは、わたしに違いない。
彼は、崖から、事故で落ちたのではなく、故意に降りたのだ。
∞
青い彗星は、まだ、東の空に見えていた。
まもなく遠のいて見えなくなる。
わたしが死んで償うのにも、あと僅かな時間しかない。
追い詰められていた。
どうやって死ぬか。
男を後追いするように死ぬのか。
ん?
ふと、死んだひと、初対面だと思っていた男を、託言より前から、知っていたような気がした。
そうだ、男は、わたしに、ことばではなく、ゆるしを乞いに来たのだ。
しかし、何のゆるしを?
思い出しそうで、思い出せなかった。
∞
山師と地元民の輪のなかで、内心、ぶるぶると、おそれに震えていた。
誰も、わたしたちの罪には気づかない。
知りもしない。
不意に、輪の外から、わたしの真後ろに立つひとの気配を感じた。
さながら、かごめかごめの「後ろの正面」である。
驚かなかった。
誰か、わかっていた。
先生だった。
先生は、わたしの脇を抱えて……
いや、捕まえたのか……
わたしを浮かせるように、すっと立たせ、連れ出した。
誰も、わたしたちには気づかなかった。
わたしたちの存在にも不在にも。
∞
いつの間にか、光を囲む輪から遠ざかるように、より暗がりへ、暗がりへと、夜道を歩いていた。
いや、歩くというより、漂い、さすらっていた。
先生は、わたしの左のかたわらにいて、そっと手をつないでくれた。
乾いた、ひんやりとした、右手。
わたしは左手。
とはいえ、先生に手を引かれ、導かれるのではなかった。
高齢の先生に、わたしが手を貸すのでもなかった。
先生に何を言われるのか、と思っていた。
何を言われることも覚悟していた。
すべて見通されているのは、わかっていた。
言い訳をしても、仕方がない。
だから、ひたすら黙っていた。
しかし、先生も黙したままだった。
でも、手はつないだままだった。
∞
まったくの闇のなかに、ビジョンがみえた。
亡き彼の熾した谷底の炎とも重なった。
∞
声はしないが聴こえた。
掌を通しての先生からの託言だろうか。
聴きながら、いつか詠んだ、〈手と手〉という拙詩を思い出していた。
続きの詩が、ひとりでに生まれた。
詩は、いつでも託言だった。
両手に受けられ、諸手に受けるだけだった。
∞
東には青い彗星が、尾を引いていた。
微塵が光を放つのだ。
あれはすべてが星なのだ。
かたわら、北東の低い空には、円かな月がみえた。
自由の星と愛の月、と思った。
ながい夜だが、夜はまもなく明けるのだ、と思った。