Separated fathers and the ‘fathers’ rights’ movement 日本語訳

先日、太田啓子先生が紹介されていた論文である、Separated fathers and the ‘fathers’ rights’ movement(日本語訳 別居親である父親たちと「父権」運動)を日本語訳した。
思い切って意訳した部分や、訳出が不正確な部分もあると思うので、そこはご了承願いたい。記事の内容に関する意見は、私にされても対応できない。

記事の内容は、オーストラリアの現状を伝えるものであるものの、驚くほど我が国の状況に類似している。内容の解説は、別の論考に譲る。


はじめに

父権運動は、父親、とりわけ子どもと離れて生活する別居親の集団的な利益をサポートすべく活動する、父親らの集団ないしネットワークから構成される。父権運動がその家族法に与える有害な影響に関する論評は、既に学説上認められている。これらの論評が指摘するのは、父権運動によって勢いづいた「改革」の結果として、とりわけ家庭内暴力や虐待にさらされながら生活してきた女性や子どもにもたらされる重大な害悪である。この論文では、父権団体が父親たち自身に対しても有害であるというさらなる批判をすることにより、その脆弱性を明らかにする。父親の離別に対する反応と離別からの回復、父親と子どもの関係性、元パートナーとの関係性という3つの側面に関する影響という枠組みを用いて、父権団体が父親たち自身にとっても有害であることを提示する論説を、父権に関する公開された出典に基づき描写することとする。

父権運動とは

父権運動とは、父親たちが自分たちの「権利」を奪われており、父親であるが故、男性であるが故に、構造的な差別に服している、その構造の中では、女性がひいきされ、フェミニストによって牛耳られている、という主張として定義づけられる。父権団体は男性の権利を主張する団体と重なり、双方ともフェミニズムに対する組織的なバックラッシュを表明している。父権団体は、反フェミニストを掲げる一連の男性及び父親の団体として理解することが出来、過去40年間におけるジェンダーや家族関係における重要な変化という文脈の中で、近年、発生してきたものである。父権団体は共通の主題を共有する一方で、フェミニズムに対して反対する度合いや、政治的な提言をどの程度行うのか、キリスト教の考え方にどの程度依拠するのか、等の事項については多種多様でもある。男性が父権運動に傾倒するようになるきっかけは、特に3つの体験があるようだ。離婚や離別による傷つき、それに伴う法的手続、子どもとの接触がなくなること、により、男性が父権運動を行う団体に加入するという流れが、安定的に存在する。

別居・離婚

異性愛者の男性の間で、離別や離婚は大きな傷つき体験であり、短期的にも長期的にもよくない効果をもたらしている。2つのオーストラリアの研究では、離婚や離別を経験した男性は、離別の際または直後に急性の苦痛を感じ、罪悪感や抑うつ反応が共通してみられ、長期的に見ても精神的な健康に悪影響を及ぼしている。そして、再婚していない人が、最も健康問題を抱えている。アメリカの研究では、離別した父親は、離別に際し、相当な情緒的かつ実際上の困難を経験することが裏付けられている。
貧困、社会的孤立、紛争や暴力、身体的精神的疾患があると、これらの悪影響はより悪化する。元配偶者や、「(男性が差別されているという)構造」に向けられた怒りや非難の感情は、離別や離婚を経験した男性の間では、そうではない人に比較してよく見られる。そして、多くの父権団体がかような特徴を持っていることは、驚くに値しない。オーストラリアの研究では、相当な割合の男性が、元妻に対して怒りの感情を抱き、その怒りは何年も継続し、元配偶者に対する非難は時間の経過と共に激化することを示している。Hawthorneは、父権団体が主張するところの差別的構造によって、別居親である父親が困難を強いられているという考え方が、普遍的ではないにせよこうした男性たちの間で広く共有されていることを明らかにした。アメリカの研究でも、別居親である父親たちの間では、自分たちが差別や偏見を受けているという認識が広く共有されていることが分かっている。例えば、BraverとGriffinの調査では、4分の3の父親が、現行の法制度を母親よりであると考えているとのことである。
別居親である父親向けのプログラムに参加した25人のほとんどが、法制度は自分たちに不利益なように作られており、それは例えば、配偶者が薬物を使っていたり、暴力を振るったり、不貞を働いているのにお関わらず、親権を獲得したことが理由であるという。被親権者である若い父親の団体を詳しく調べると、司法制度は父親を差別するように作られているという認識があり、法的手続に関与する中で、一般的に欲求不満、怒り、無力感を盛っていることがわかった。子どもとの関係性を優先し、良好な共同養育を確保するために、不本意ながら離婚に応じた男性もいる。

子どもとの交流が失われたことに対する不満

離別した父親が、子どもとの交流ができなくなったことを不満に思い、父権団体に加入するという流れはその次に多く見られる。オーストラリアにおける離婚した親については、ほとんどの子どもの生活に関する合意は、家庭裁判所の手続なくして最終的にまとめられている。ほとんどの合意は離婚時に内容が決められ、事後的に変更されることはない。しかし同時に、離婚後の親の間では、居住や交流の程度に関して不満を有する者が相当数存在する。特に、別居親である父親に見られる。2001年の研究では、子どもとの現在以上の交流を望んでいる同居親である母親は40%であった鬼対して、別居親である父親は75%であった。他にも、子どもの生活に関する合意を変更することを希望する同居親である母親は3%に過ぎないのに対して、41%の別居親である父親が変更を望んでいたという研究もある。

伝統的な性別役割分業観の再興とバックラッシュ

より広範にみると、男性が父権団体や男権団体に加入することは、ジェンダーや家庭生活に関する近年の意識の変化に対するバックラッシュの一様相であると理解できる。米国における状況についていうと、Crowleyは現在の父権団体は、男性を巡る3つの運動が統合されて発生してきたものであるという。その3つとは、1960年代の離婚改革運動、1990年代に始まった反フェミニスト運動、プロミスキーパーズのような保守的宗教団体である。オーストラリアの状況も同様である。現代の父権運動団体は離婚に関連する当事者団体と歴史的なつながりを有し、Fatherhood Foundationのようなキリスト教的結婚推進団体とも重なる。
父権運動は、女性や子どもに対する男性的、父権的な権威を再構築するための試みを表していると言われてきた。父権団体は、典型的には、現実的な子どものケアよりも父親の「権利」や地位に関する公平を求めてきた。新たに権力を得ようという試みではなく、むしろ失われつつある権力を防衛しようという試みである。彼らの努力は、より広い共同体の中で行われ、ジェンダーや性に関する関係性についての政治的な不安や、フェミニストや性的な解放運動に対するバックラッシュによって強化されてきた。
しかしながら、父権運動を単なる反フェミニストのバックラッシュ運動として理解することは、かかる集団を動員することについてのその他の側面を見失うおそれがある。Collierの研究とCollier及びSheldonの研究は、父権団体の活動を、男性の離婚や離別に対する反応を形成する社会的文化的文脈、「新しい不正」という規範、離婚後の家族の生活に関する法的な制限の変化、養育と平等に関する法やより広い社会おける考え方の変化と関連付けている。これらは、個人を父権運動に駆り立てる個人的体験であり動力である。離別した男性を支援するこのような父権団体の主張を踏まえると、父権団体に何の価値があるのか。父権団体に参加することが父親たちの利益になるという証拠がどこにあるのだろうか。

別居親である父親たちに対する支援

離別した父親に支援を提供する方法として、明らかなものが3つある。
1 離別や離婚によって生じたマイナスの影響からの回復を支援する。
2 現在進行形での子ども達との関係性を維持し、構築する。そして、子ども達と関わっていく
3 元配偶者との良好な関係を現在進行形で維持する。
父親が養育に積極的に参加することは、母親が養育に不適格であるから望まれるものではないし、父親が養育にあたり固有の何かをもたらすからではない。ましてや、頭ごなしに、どんな家庭にも父親が必要だからではないのである。そうでなくて、父親が養育に参加することは、父親が、母親やその他の養育に携わる人たちと同様に、子ども達や家族に対して、情緒的、物質的、社会的な幸福につき、有益な寄与をもたらし、もたらしうるからに他ならない。
子どもは、少なくとも大半の事例では、両親の離婚後も父親と現在進行形で交流することが望ましい。しかし同時に、別居親である父親が子どもと交流することそれ自体は、子どもに幸福をもたらすことを推定させる要素であるというものではない。AmatoとGilberthのメタアナリシスによって提唱された、別居親である父親の4つの側面、すなわち、子どもの経済的支援、頻回な交流、親近感、きちんとした養育のうち、きちんとした養育が、子どもの将来をもっとも確実に予測させる要素である。子ども達は、父親との交流それ自体から利益を得ることはほとんどない。父親の養育の本質は、もっと異なるものである。加えて、子どもとの交流は、別居親である父親自身に精神的な利益をもたらしている。
一部の別居親である父親が、地域密着型の父権団体に参加すると言うことを考慮した場合に、父権団体は、父権団体は別居親である父親が、上記の3つの目標を達成することに役立つのだろうか。このような団体に参加する人は、情緒的、実践的な支援に巡り会い、養育に参加する気持ちを強化するであろうと考えるだけの理由がある。他方で、少なくとも一部の団体は、父親が離婚・離別によって受ける傷付きから回復することを妨げ、子どもとの関係を強要し、あるいは害をなし、そして元配偶者との関係性を悪化させている、と考えるだけの理由もある。
この見通しは、以下の2つの理由により、不確実な要素を含んでいる。ひとつには、父権団体が構成員に与える影響についての先行研究が殆どないことが挙げられる。公刊されている研究の中では、それ単独で実証的な実験を行ったというものは認められない。またオーストラリアにおける父権団体への接近からは、実証的な根拠は得られていない。この見通しは、その代わりに父権団体の公共の場における演説や父権団体の視点、綱要に関する現存の研究に依拠している。これにより、父権団体が構成員に対して及ぼしうる影響について推定している。しかし、その主張は本問題に直接関係する研究によって検証される必要がある。Lone Fathers’ Association, DADs Australia, the Men’s Confraternity, and the Fatherhood Foundationといった父権団体のウェブサイトや、一般にアクセス可能なニュースレター、提出物の分析から推認を行っている。二つ目には、父権団体の主張(学術文献、ニュースレター、ウェブサイト、提出物及びメディアへのコメント)を考慮した上での情報源は、多くが1990年代又は2000年代初頭に作成されたものであり、こうした主張は既に変化している可能性があることである。それでも、本論文は、これらの父権団体が父親たち自身にとってどのように有害であるのか、という点について、重要な見解を打ち立てているものである。そのことは、以下の3つの領域ないし次元を単一の枠組みで考えることで明らかである。父親たち自身の離別に対する反応や。離別からの回復、父親と子ども達との関係性、父親と元配偶者との関係性である。

離別から立ち直る

離婚後の父親の行動予測に関する多くの理論によれば、父親は、情緒的、物質的に満たされて始めて、父親としてのキャパシティを持ち、父親として子どもに関与することができる。父権団体が、離別した父親が、離別や離婚によって生じるマイナスの影響から回復することに役立つことはあるのだろうか。一定数の男性が父権団体に安らぎを感じ、支えてもらっていることは疑いない。父権団体に関する研究の最も実質的な側面のひとつは、Crowleyが米国の158人の父権団体構成員にインタビューをした研究によって明らかにされている。Crowleyは、父権団体に参加する最も重要な動機が、孤立や悲しみに対する反応として、情緒的な支援を探求してのものであることを明らかにした。構成員は離別や離婚の間に、あるいはその後に新しい生活を構築する際に感じた孤独感に対する反応として、支援を求めていた。
父権団体はまた、父親たちが別居親として養育に参加する上での現実的な側面に対処することを助けていると言えるかもしれない。例えば、養育に参加し、地域の団体や家庭裁判所における手続などである。アメリカの父権団体に関するCrowleyの研究によれば、父権団体に参加するもっとも共通の動機は、個別の事案への対応である。多くの男性が子どもや親権に関する自身の手続を手伝ってもらおうと思って参加している。それは、例えば家族法の複雑で圧倒的な規定の意味が分かるように教えてもらったり、弁護士に依頼するだけの余力がもはやなくなってしまった場合に利害を代弁してもらったりなどである。代表者や他の構成員は一般的な情報や、特定の問題をどのように動かしていけばよいかという戦略、そして子どもや親権を巡る手続に進むだけのリソースを提供すると提案する。Crowleyの研究は、父権団体の実際上の影響よりもむしろ参加の動機に着目している一方で、一定の参加者は、実質的な支援と情緒的な支援の双方を探し求めて団体に参加している可能性があるといえる。
同時に、父権団体が離別した父親が離別に伴う傷付きから回復していく過程をどのように阻害しているのか、という点については、いくつかの可能性がある。父権団体は、典型的に男性や父親を被害者として位置づけ、男性や別居親の親としての立場が軽視されていると考える。これはアボリジニの抑圧などと同様である。そして、父権団体は、巨大な権力を自らの敵として描き出す。オーストラリアにおける男性や父親の権利に関する団体を調査した2つの研究によると、これらの文脈の中で、自己意識が狭くなり、主張も狭くなることが報告されている。Maddisonは、父権団体の構成員が、自分たちが「過激なフェミニズムや自分たちの居場所のなさの故に大いに傷ついている。」という集団的な自己意識を有し、これにより、「真の」男らしさを求めて互いに気持ちを通わせているのだと明らかにした。Winchesterは、Newcastle branch of the Lone Fathers’ Associationの構成員にインタビューを行い、団体は議論を繰り返すことで、男らしい者が主導権を握るべきであるという構造を定義づけ、守り、再生産しているのだと明らかにした。父権団体に参加することで、情緒的な問題について集中的に議論することができる一方で、そのことは同時に、性差別主義的な理解を「常識」とする考え方と関連する、女性蔑視の主張を促進し、強調している。
多くの父権団体、とりわけフェミニズムに思想的な敵対心を有していることで特徴付けられる団体は、このため、構成員に被害者意識に立脚した主体的地位を提供し、法制度や元配偶者に対する敵意や非難にその目を向けることとなる。このような考え方によって、男性は怒りや恨みを抱くという立場が確定し、かくして彼らの回復力は制限されるのである。もちろん、父権団体は、被害者の立場になることや、現状を非難することは、本物の不平不満に対応する正当な反応であり、男性たちを混乱させているわけではなく、励ましているのだと主張するだろう。
さらに、父権団体は、構成員が悪意に満ちた、破壊的で非生産的な法的戦略をとるよう働きかけている可能性がある。1995年の家族法改正を皮切りに、別居親(大半は父親)による違反の申立が急増した。そこでは、面会交流命令に対する違反が主張され、その多くは、真実、面会交流できないことに対して不服があるというよりもむしろ、同居親に対する嫌がらせの手段として用いられていた。このような試みは、当然、同居親である母親や子どもにとって有害なものである。しかし、それに留まらず、別居親自身にとっても有害なものである。彼らは時間や費用をかけて、建設的な養育ではなく、嫌がらせや仕返しのキャンペーンを張っているのである。父権団体は、子どもや女性が自分たちとの交流を悪意を持って拒絶していると考え、弁護士やその他の専門家の関与に反対するという男性の「権利」を強調する程度にまで、別居親である父親たちを非生産的で迷惑な法的戦略に駆り立てている。


養育への参加

父権団体が、子どもとの交流や、経済的援助の程度なり質という次元を含めて、父親による養育への関与に与えている影響を検討したデータは存在しない。父権団体が特に強調するのは、自分たちは父親が子どもの生活の関与することを奨励することに注力しており、構成員は子どもに対する愛情に動機づけられている、そして父権団体に所属する個々人の男性が、より多くの関与を望んでいることは疑いない、ということである。養育における役割に主体的に関与することは、父親と子どもとの交流を予測させる重要な要素である。父権団体が日常的に「子どもには父親が必要だ」と強調していることを考慮すると、参加者は子どもとの交流を維持し、実践的な養育を改善するよう、同輩や団体内部の関係性によって動機づけられている。同時に、離別や離婚の前後を問わず、父権団体が、父親が子どもの生活にプラスの関わり方をするように促進することが殆どなかった他のやり方というのが存在する。特に、多くの団体は男性即ち父親が、より積極的に養育ができるような構造的、制度的状況を整えるように活動しては来なかった。


公式な権利、平等、地位への注視

父権団体は、実際に子どもの世話をすることよりも、いわゆる「復讐心を伴う平等」の追及とされる、父親の「権利」や地位に関する平等を獲得することに主眼を置いている。過去20年において、父権団体が採用している破壊的な戦略には重要な変化が見られる。しかし、全体を通じて、こうした団体は子どもの共同養育に対する実質的な考慮がないことを強調してきた。Rhoadesの研究によると、父権団体の主張、特に離別後の子どもの共同監護に関する反論可能な推論や、報告ないし推奨に関する反応についての、House of Representatives Standing Committee on Family and Community Affairsにおける投稿について、有益な分析がなされている。
彼らの1990年代を通じた公的見解によれば、父権団体は別居親である父親たちを反男性、反父親の制度のために権利を奪われている怒れる被害者として表現することにより、「権利」や差別の問題を強調してきた。しかしながら、2003年の衆議院の調査によれば、父権団体は方針転換を行っている。彼らの提出物によれば、父権団体は「平等な養育」の必要性に主眼を置き、父母が平等に子どもを養育することが子どもにとって最善なのだと強調している。父権団体は、かくして別居親である父親たちを、子どもの福祉全体に関して良き親、責任ある親に位置づけている。父権団体はまた、「親同士の平等」をその次に主張し、そこでは平等な親の権利を法的に認めることが、象徴的な意味で重要であると主張することに主眼を置いている。彼らの平等に関する主張は、このように、父親の「権利」から、親同士の平等を主張する方向へと移行してきた。それでも、父権運動を特徴付けてきた、暴力や親権その他の問題に関する古典的な主張は維持されている。Collierは、父権運動は形式的な平等それ自身に主眼を置いており、今日の男女の中立、平等を指向してなされた法改正に呼応して行われているものだと指摘している。
父権団体は、「平等」とか「共同」な養育という言葉を採用する一方で、彼らは実際に共同養育に関する問題には無関心を貫いている。彼らは、離婚や別居前の家事労働における性差別については、無関心であったり、これを否定したりする。そして、別居後における共同養育の実践的な現実問題や、これをどのようにして実現するのか、という点には無頓着である。父権団体が国会委員会の公聴会に提出した資料によって明らかなことに、「平等な養育は、父親にとって、実際に子どもをどのように養育するのか、という問題提起と言うよりも、重要な象徴的問題(お題目を掲げること自体に意味のある問題)」なのである。

共同養育ではなく、親権

このような形式的な権利に主眼を置くことに関連して、一部の父権団体は、実際に子どもに関与することよりも、親権や父親の子どもや元配偶者に関する意思決定権限を再構築することにより関心をもっている。養育において男性が積極的な役割を演じるべきであるという信念は、父権団体とフェミニズムを通じて共有されている考え方である。しかし、父権団体とフェミニズムとの間には、より広い意味で、当該概念が家族や養育という観点からどのような意味を有しているのか、という点について、大きな差異がある。「第二次」フェミニズムの早期では、家庭内及び賃金労働の双方における、伝統的なジェンダーによる硬直性と不平等を解消することが主張され、「男性にも女性にも平等に養育の機会があるという物理的状況を作り出す」ことが構想された。加えて、子どもの支援や交流に関する問題の解決策として父権団体から提案されたものは、子どもの福祉や単独親権による制限には無頓着であった。Cornellによると、父権運動は男性が養育に関与するよう動機づけることに主眼を置いておらず、その代わりに、男性に対して父親たること、即ち固定的な性差別によって構築された家族内における親権をもつことを奨励してきたのである。

子どもの養育に際しての現実的な障壁を無視している

親権や父親による意思決定を再構築することに注力することで、父権運動は別居や離婚の前後を問わず、共同養育をする上での実際上の障壁が何か、ということから目を背けてきた。離別後の父親による養育に際しての最も重要な障害は、離別前に父親が養育に携わっていないことである。関係解消の段階で、多くの父親は、「共同養育のやり方を確立しておらず、必然的に、重要な養育者としての役割に円滑に移行することができるような関係を子どもとの間に有していることもない」のである。これを踏まえて、母親が主たる監護者と認定されるのが通例なのである。従って、父親が離別後に養育に参加したいのであれば、婚姻中から養育にもっと関与することが最善の方法なのである。
父権団体は、別居や離婚後に父親たちが養育に積極的に関与しにくいような政治的、文化的、共同体的な戦略を採用してきた。実際、父権団体の広範にわたる反フェミニストの方針のため、父権団体の中には、共同養育を充実させる方策に反対してきたところもある。例えば、Shared Parenting Council of Australiaの2002年のプレスリリースでは、彼らは産休を有給扱いする提言を拒絶した。the National Fathering Forum’sが2003年に国会に提出した資料では、アファーマティブアクションに反対の主張がなされている。いずれも女性が経済的に活躍する機会や有償労働に参入することを制限し、それゆえに、同時に男性が養育に参加することも制限している。

共同養育への現実的な試みを無視している

父権運動は、また、離婚、別居後の共同養育に際しての現実的な障壁について無視している。第一に、その政治的主張は、家族法に同居に関する推定規定を設けることに主眼を置いているものの、そのような推定規定がないことが、離婚後の父親による養育への参加を妨げている主要な要因ではないのである。離婚後の子どもの共同養育に関して、公的には何ら法的障害はないのである。離婚後に父親が子どもに会えないという状況は、下腿裁判所の命令によるものよりも、離婚に先立つ養育の状況を反映したものだったり、親自身の意向でそうなっていることの方が圧倒的に多い。
第二に、父権運動は、別居や離婚後の共同養育を実現するために、実際には何が必要なのか、という点に目を向けていない。別居や離婚後に共同養育の合意を相互に構築することに同意してきた親というのは、相対的に少数の限られた集団であり、特定の特徴を兼ね備えている。すなわち、「さらなる教育を、社会的経済的により豊かに、労働時間を柔軟に、住居を近くに、そして父親は別居前から、就学前の時点において日々の子どもの養育に関与してきている。」物理的な共同監護(交代居住)を実現させてきた離婚後の元夫婦に関する研究では、協力的な共同養育のできる関係性や、養育に際して子どもを中心に置く考え方が、成功の決定的な要因であることを明らかにしている。
父権団体、特に法的な共同養育の推定規定を設けることに主眼を置きがちな団体は、別居親が共同養育に参入することを強制するものの、それはうまく機能しなかったり、危険であったりする。そうした推定規定は多くの父親にとって特に不公平となり得る。父親を望まない過重労働へと駆り立て、子どものためにお金の面で頑張っている父親に、親の資格がないという気持ちを呼び起こしてしまう。
父権団体が、表向き、別居親である父親たちと子どもとの関係性を構築しようとして注力するその他の2つの戦略は、別居親が子どもと接触する機会を充実させるよう試みることと、同居親(母親)に対して別居親との接触を容易にするよう強制できるようにする方法を強化することである。しかしながら、これらの評価は本稿の射程をこえている。本稿での議論は、父権団体が、父親たちによる離別前後の養育に当たっての構造的な障壁となっている程度に注目することにある。もし、男性が養育に参加することが、部分的にせよ子ども達に利益をもたらすという点において価値あるものであるというのであれば、父権団体によって提唱され、獲得された政策の変化よりも、子どもの福祉のほうが優先されてしかるべきということになる。
オーストラリアの父権団体は、子どもに影響する3つの点において、家族法や、政策、手続に大きな影響を与えてきた。ひとつは、父権団体の努力により、子ども(そして母親)が暴力に対して脆弱になったことである。1990年代後半から2000年代前半に架けて、父権団体は、子どもの暴力からの安全よりも父親と子どもの接触を優先させるように家族法を変えることに貢献した。これにより子どもは暴力を振るう親とより緊密に接触する必要性にさらされることとなった。父権団体は大人子ども問わず¥暴力の被害者を疑い、特に女性は日常的に虚偽児童虐待や虚偽DVをでっちあげるのだという不適切な主張を拡散した。
父権団体は、暴力の被害者を守るための手段が充実してきたことに対する揺り戻しであり、加害者に対する法的な処罰を減らすためのものと考えられる。
第二に、父権団体は別居親である父親たちが子どもを直接的に支援するに際しての障壁を減らすことによって、子どもや同居親に対して経済的、物質的な支援を減らすように作用してきた。同時に、現在の子どもの養育に関する制度が、別居親の一部に過剰で不当な金銭的制裁を課してきたというのも事実である。第三に、別居親の同居親に対する敵対心を煽ることによって、父権団体は親同士の紛争を激化させ、子どもの福祉に悪影響を及ぼす可能性を持っている。

元配偶者との関係

別居親である父親たちを支えるための上記3つの目標のうち、3番目(元配偶者との良好な関係を現在進行形で維持すること)によって、別居親である父親たちは元配偶者との現在進行形かつ前向きな関係を維持することができるようになる。このことは、当事者間において価値あるだけでなく、父親と子どもとの関係性においても有益なものである。一連の研究により、別居親である父親たちと子どもとの関係性が形成される上では、別居親と子どもの母親との関係性が重要な意味を持っていることが明らかになってきた。父権団体は、別居親である父親たちがこの目標を達成するために役に立っているのだろうか。
父権団体の主張のいくつかは、別居親である父親たちと元配偶者との関係性を害する可能性がある。それは、以下のような特徴を持っている。すなわち、同居親と子どもとの交流をより制限するよう強要し、同居親の日常生活や子どもの教育に対してさらなる影響力を行使しようと模索し、経済的な援助を減らし、暴力や虐待の危険から子ども達を守ることを制限する。これらの父権団体の努力は、同居親の元配偶者に対する敵対心を増長し、子どもとの交流には消極的にならざるを得ない。しかしながら、父権団体が別居後の父母の関係性を破壊する、より普遍的な方法というのが存在する。
女性一般や、特にシングルマザーに対する否定的で敵対的な描写は、父権団体の主張の中ではパンとバターの関係のように密接である。父権団体の考え方は、恒常的に、女性を他者依存的で、卑劣で、悪意に満ちた存在として描いている。Newcastle branch of the Lone Fathers’ Associationの構成員に対するインタビューでは、彼らは頑迷にもシングルマザーの経済的な幸福を過大評価し、つまり子どもの養育にかかる費用を過小評価し、元配偶者の家事労働に価値を見いださないことが明らかになっている。母親は不誠実で執念深く、虚偽児童虐待や虚偽DVをでっち上げる傾向にあり、恣意的かつ一方的に別居親である父親たちと子どもとの接触を妨害していると考えている。父権団体の構成員はまた、元配偶者を「乞食」「売春婦」「淫乱」「ふしだら」「尻軽」などと表現する。
House of Representatives Standing Committee on Family and Community Affairsに対して父権団体が公的に発表した最近の言説は、自分たちは母親のことを尊重しており、母親と言うよりも弁護士や裁判官や法制度のために自分たちが抑圧されていると訴えている。しかしながら、父権団体がシングルマザーや女性、フェミニズムを敵対視し嫌悪する姿勢は、ニュースレターやメーリングリスト、ウェブサイトを一読すれば明らかである。
父権団体の有する世界観は、別居親である父親たちが建設的で相手を尊重する気持ちに満ちた関係性を元配偶者と構築することを奨励しているとは言い難い。父権団体が親同士の敵対心や紛争を煽る程度にまで、彼らは2つの良くない影響を与えている。ひとつは、父権団体と関わることで、別居親である父親たちは子どもとの交流が減って、子どもとの交流を強制するために裁判所を利用することが増えると言うことだ。オーストラリアの研究では、両親が敵対的な関係にあると、父親の子どもとの交流や関係性に負の影響があることが明らかになっている。アメリカの研究では、元配偶者と紛争を抱えて関係性が良くない父親ほど、子どもとの面会交流に困難を訴えて裁判所を頻繁に利用することが明らかになっている。
第二に、父権団体が親同士の紛争に対して与えている影響のために、父権団体は子どもの福祉を害している。親同士の紛争は離婚後の子どもにストレスをもたらし、不適応を予測させる重要な因子となる。現在進行形で高葛藤の親同士に共同養育の合意がなされると、子どもにとっては特にダメージが大きい。
父権運動は、別居親である父親たちが本稿で示した3つの目標を達成するように手助けする可能性に乏しい。しかしそれ以外の点でも、父権運動が父親たちの関心を引いてきた点がある。既に見てきたように、父権団体は、父親たちがその集団的利益、とりわけ家父長的な利益を得られるよう促進してきたという側面がある。これらの団体は、構成員や父親一般が自らの権限や元配偶者や子どもに対する支配を強調するように動機付け、経済的な義務を減らし、暴力の申出やそれによる法的その他の影響から自分自身を回避し、または防衛することを支援している可能性がある。本稿は父権団体が構成員に対して、彼らが広く考えられている目標(離婚から精神的な回復し、養育に参加することなど)達成することをどの程度支援しているかに主眼を置き、家父長的な利益の達成に対して与えている影響を検討した。

別居親である父親たちに対する肯定的な反応

父権団体が父親たち自身にとって利益となりうることについて、本稿で述べたように限定的な根拠しかないと言うことであれば、他に有益な方法はあるのだろうか。父親を支援する団体や、教育プログラム、その他の介入により、別居親である父親たちの幸福を促進し、子どもや子どもの母親との良好な関係を構築することに良い影響をもたらしうることについて、いくつかの根拠が存在する。ひとつは、父親向けの親の教育プログラムは一般的に有益であることについて根拠がある。離婚した親向けのプログラムは、一般的に良い影響をもたらしうることが、メタアナリシスにうよって明らかになっている。中には役に立たないもののある。最近の、同居している父親向けの教育プログラムに関する16研究を分析したメタアナリシスでは、プログラムによって父親が子どもの日々の養育に関与する程度が増大し、共同養育が促進され、父親と子どもの関係性の質が向上し、子どもの問題行動が減少したと言うことである。では別居親である父親たちへの取組についてはどうだろうか。
別居親である父親たちを対象とした一連の事前介入的手法が開発されてきている。アメリカのある教育プログラムに参加した人は、自分の親としての能力についての認識が向上し、子どもと離したり、子どもの声に耳を傾けたりする際の効果が改善し、時間が経過しても、安定的に養育に対する満足感が向上した。これは対照群と比較して有意な差である。シングルファザーのための方法を別居親である父親が受けた結果、「相手を理解し、お互いを尊重する関係を作る」、前向きで楽観的な見通しをもつ、そしてよりよい親になるということを彼らにもたらしたという。他の男性と体験を共有することで、問題への対処することについて協力でき、感情的な支えや、養育に対する手助けにもなったという。離婚した男性に対する専門的な支援を行う団体によると、彼らは離婚により生じるストレスに対処する方法を学習し、子どもと前向きに向き合い、回復して生活を再建させてていると報告されている。Dads For Lifeに参加した別居親である父親たちの子どもには、良い影響が見られ、特に、プログラム開始時に彼らが比較的落ち込んでいた場合は顕著であるという。より最近の試みでは、父母双方が親同士の紛争を終わらせたことも報告されている。
別居親である父親たちに対する、支援団体やその他の介入の効果は、その内容や過程に依存する。内容という面では、別居親である父親たちの支援団体は、彼らが子どもやその母親との建設的な関係性を維持し、紛争に対処し、親同士が互いに尊重し、協力できるよう最大限努力するよう教えることが望ましい。過程という面では、支援団体は子どもやその他の人々の幸福と安全を重視し、訓練された職員により運営され、その他の関係機関や団体と協調して運営されることが望ましい。
オーストラリアには、父親たちにこうした支援をする先鋭的なモデルが存在する。Canberra Fathers and Children’s Serviceは、子どものいるホームレスの男性に住まいや支援を提供している。彼らは、父親と子どもの良好な関係性こそが「顧客」であると強調する。このサービスでは、父親と子どもの利害は衝突しえ、その場合は子どものニーズを優先し、家庭内暴力には毅然とした対応をするという。
皮肉なことに、Canberra Fathers and Children’s ServiceはLone Fathers’ Associationという父権団体によって運営されていたサービスを起源としている。Lone Fathers’ Associationは1999年に、独身男性や子どもを連れた男性に住まいを提供するサービスを始めた。このサービスは当初、家庭内暴力から逃れた男性の避難所として位置づけられていた。下火になるほど悪い評価を受けて、このサービスは入札にかけられ、フェミニストによる家庭内暴力からの支援団体に移管されたのである。

まとめ

正式な評価は行われていないものの、父権団体の価値を試算した結果、彼らは女性や子どもにとって有害であるのみならず、別居親である父親たち自身や、彼らと子どもとの関係性にとっても有害であることが示唆された。この批判的な見積もりは、別居親である父親たちに対する適切な支援の方法が開発されてきていることと関連している。我々は別居親である父親たちに対して適確な方法で介入する必要がある。それは、彼らが情緒的、実際的にそれを必要としているからという理由に留まらず、彼らが子どもとの現在進行形で良好な関係を構築することを手助けするという目的に留まらない。そのようにすることで、父権団体に加入する別居親を減らすことができる。別居親に対して建設的なサービスを提供することは、彼らが父権団体の関係性から抜け出すきっかけになるという点において重要である。本稿は別居親である父親たちにどのような種類のサービスが提供されているか、ということを世間に示している。一方では、彼らを怒りや相手への非難に駆り立てるものがあり、他方では、彼らを回復へと向かわせ、子どもとの良好な現在進行形の関係性を構築することに寄与し、元配偶者との協力的な関係性を維持するように作用するものがあるのである。


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