氷川きよしさんに学んだ年末〜自分らしさを全開にして突き抜ける
氷川きよしさんの「限界突破サバイバー」をYouTube でたまたま目にする機会があった。
氷川きよしさんは、演歌のプリンスのずんどこの人–くらいの認識だった。
ところが、このビデオクリップを観ながら涙が止まらない。それどころか号泣してしまった。
神々しい。
人が自分らしさを全開にして突き抜けると、これほどまでに神性が開花し、美しく輝くのかを目の当たりにしたからだった。
令和元年の年の瀬に、氷川きよしさんは、わたしの限界突破を猛烈に後押ししてくれることになる。
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わたしが幼い頃からずっと憧れていたこと。
それは、「ちゃんとした人になる」ことだった。
なにをしても考えても、よく言えばオリジナルになってしまう。世間的に言えば、変な子になってしまう。
みんなが出来ることが、わたしには出来ない–それがずっとつらかった。
いまでもはっきりと覚えているのが、小学校低学年の頃に、運動会かなにかに必要な小道具を作る宿題が出されたときのこと。
長方形に切り取られた厚紙の方眼紙と、短冊の形に切り取られた色画用紙がひとりひとりに配られた。色画用紙は、桃色だったと思う。
宿題は、「あしたまでに方眼紙に色紙を貼ってくる」ことだった。
問題は、長方形に切り取られた厚紙方眼紙の方が、短冊形に切り取られた色画用紙よりも長いということだった。貼り方に指示は出されなかった(と思う)。
家に帰って来て、じっとふたつの長さの違う紙を机の上に置いて見つめるが、貼り方がわからない。貼る目的が示されない中、この2種類の紙を関連付けろというお題は、わたしにはむずかしかった。
そこで、考えあぐねたわたしは、方眼紙の両端を数センチずつ残し、色画用紙をバランスよく真ん中に貼ることにした。
これならデザイン的にもバランスよく美しいし、両端にのりしろがあった方が、使い勝手が良いと考えたからだ。
翌日、それが大不正解だとわかった。
「なんでこんな貼り方するのー?!」
正解は、右が左の端に合わせて、色画用紙を貼ってくることだったらしい。たぶん、厚紙で補強された桃色の短冊が必要だったのだ。
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一事が万事、こんな感じ。
幼稚園の頃から、先生の仰ることには納得がいかないことがあった。どうしてワクワクすることをすると怒られるのだろう。それが、ずっとわからなかった。
なにを仰っているのかわからない先生は、小学校に上がると数が増えていった。
同級生の女の子に手をあげる男の子を叩いて庇ったある日。「女の子が男の子をぶつなんて!」と理由も聞かずに怒られた事をいまでも覚えている。
うっかりしていて、書道の半紙を規定より一枚少なく持っていっただけで、班全体の責任になったこともあった。
「ちゃんと」出来ない自分をどうしたら良いのか、夜も眠れなくなるくらい悩んだ幼い日々だった。
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大人になるにつれ、常識外れな自分を隠そうとする気持ちは強くなり、その辛さは増していった。
常識ある人を必死で演じる自分が選ぶ「場」が自分に合うはずもないからだ。
いま思えば、隠していてもバレバレな変な子だったのだろうとわかる。でも、当時は「必ず死ぬと書いて必死と読む」という台詞がぴったり合うくらい一所懸命な毎日で、疲れ果てていた。
最初の職場を心身ともに壊して一年余りで辞めてから(当時は周りの方々にもご迷惑をかけました。ごめんなさい。)、20代半ばで天職の一つである先生の仕事に出会ったのが、心のリハビリ第一弾。
30代でオックスフォード大学院留学をしたのが第二弾。手相の生命線が3センチくらい伸びたのは、日本で生きるプレッシャーから離れたからだと思われる。
他にも大小様々なリハビリを積み重ねてきたが、「ドカーン!」とぶち破ってくれたのが、氷川きよしさんの「限界突破サバイバー」だった。
演歌かロックか、男か女かーあれだけ歌が上手いならどうでもいい。
それよりなにより、この命の輝きはなに?
わたしも限界突破して、怖さを超えて自分らしく生きよう。なにか自分に使命があるなら、それをさせてくださいと天に投げた。
そうして間もなく舞い込んで来たのが、NewsPicks の生放送番組、The Updateへの出演依頼だった。
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番組では、これまでのテレビ出演では出しきれなかった自分のキャラクターで、伸び伸び議論出来て楽しかった。
司会のみなさん、論客や観客のみなさん、スタッフのみなさんなどたくさんの方のおかげであることは間違いない。
でも、そこに連れて行ってくれたきっかけは、氷川きよしさんだったのだ。
【おまけ】
東大博士課程の指導教官と初面談の日。
「水野さん、あなたは悟空みたいだね」と言われた。
ドラゴンボールを読んだことがなかったので悟空を知らず、いわゆる孫悟空の事だと思っていたら、「スーパーサイヤ人を目指しなさい」と言われて話の矛盾に気がついた。
ネットで検索したらスーパーサイヤ人があまりに格好良かったので、当時は手の平サイズのフィギュアをデスクに置いて、論文を書いていた。
そんな訳で、氷川きよしさんがドラゴンボールの主題歌を歌っていることに、さらなるご縁を感じた次第。