身体の使い方と脈拍の話
ふと、「脈拍測定こそボディメカニクスが大切」と恩師が話していたことを思い出したので、脈拍測定の思い出について少し書こうと思います。
大学生の頃、ケアを提供するときに自分の身体をどのように使うかということを学ぶ講義がありました。『ボディ メカニクス』というテーマでした。
その講義で始めにしたことは、『立つ』ことでした。自分の身体の各部がどのような位置にあるのかに気付きながら、内面の感覚を大切にしながら意識的に『立つ』ということをしました。それから、他の人の身体を支えたり、動くことを助けるときの自分の身体の使い方、様々な生活援助の技術を実践するときの自分の身体の使い方なども学びました。もちろん、相手の身体がどのような状態だと楽なのかということも学びます。そこで恩師が話したのが、「脈拍測定こそボディ メカニクスが大切」ということでした。
それはなかなか不思議な言葉でした。例えば自分では動くことのできない誰かが車椅子に移動することを援助するとき、相手も自分も安全で心地よく支援できるように、援助する側が適切な身体の使い方をすることは非常に重要です。これを理解することはそれほど難しくありません。でも、脈拍測定はそういう援助ではありません。動脈のある場所の皮膚に指先で触れてそれを感じ取ることに、それほど強い力や大きな動きは必要ありません。なのに、なぜ「脈拍測定こそボディ メカニクスが大切」なのか?
恩師はそれについて多くの説明をしませんでした。いえ、きちんと説明していたけれど当時の私にはあまり理解ができず、記憶に残らなかっただけなのかもしれません。ただ、「よくわからないけれどそうなのか・・・」と思い、姿勢を整えて同級生の橈骨動脈に触れたとき、指先に感じる脈がそれまでと何か違った感じがした、立体的になったような、質的に変化したような感じがした、という体験だけは身体の感覚として残っています。「よくわからないけど、そうなんだ」と、当時の私は理解しました。
私は仕事前に必ず自分の呼吸、心拍、姿勢、体軸などに意識を向け、整ってくるのを待つ時間をとります。初めからではなく、自分のことや仕事中に関わる人たちのことがより豊かに、鮮明に感じられたのはどのような時か・・・、そういう体験の積み重ねの中で、自然とそうするようになりました。単純に身体に関わることが好きなこと、武道の稽古やボディワークの学習と実践などの体験も影響しているのだと思いますが、10代の頃に『自分の身体を整えることで相手の脈が変化したように感じた』という体験もまた、今の私の習慣に関して、土台の一部になってくれているような気がします。
何にせよ、恩師の言葉はとてもありがたいものでした。その言葉は、同じ現実であってもそれをどのように感じるかは自分の身体のありようや注意の向け方、感覚の研ぎ澄まし方で変化するということに気付くヒントとなりました。このことは仕事ではもちろん役立っていますが、私自身にとっても役立っています。落ち込んだときに身体の軸を整えてから余分な力を抜いて自分の脈拍に触れて目を閉じ、その動きをただ感じていると『生きている』という実感が湧いてきてなんとなく元気が出てくる、ということがあったりするからです。
感じるだけで変化する。身体ってありがたいなぁと思います。