快談水宮チャンネル18 ストレンジャー・ザン・盆周り
水宮水音(みずみや・みずね)の旧ハンドルがなんかしっくりきててその名を残す怪談ならぬ快談チャンネル。お久しぶりです。
ストレンジャー・ザン・パラダイス、いつか観たい映画。
ドリフの盆周り。いつも視てたテレビ。
この『盆周り』をかつて携帯の着信音にしてたこともあるが外で鳴るとバクレツに恥ずかしいのだった。
T兄と私が甘々ラブラブかと思ってる方もいるかもだがそうでもない。
帰ってから一年経つのにT兄って手も握らない。
恥ずかしがり屋の魂百までも。シャイダーT兄。
逆に私はといえば亡き親友(ずっと仕事で海外を飛び回ってた)に
「お前はパリ女か!」と突っ込まれるほど外人離れ、いや日本人離れしているのだそうだ。
タイトル、ストレンジャー・ザン・パリジェンヌにしとけばよかったか。もう遅い。
ともあれ男性ふたりと女性ひとりの三人組がなんだかただもうダラダラしてるだけ、らしい?名画。
私たち夫婦と、T兄の親友S兄。快談水宮チャンネルの「爆笑葬儀」で初登場だったかな?のS兄。
この三人は、オシャレでもない五十路で色っぽいこともゼロ。
ただ三人いると何かおかしなケミストリーが生じるらしい。
ドリフの盆周りみたいなことがずーっと続く。いつも笑いすぎで腹筋が割れそう、南条。
S兄の本当に本当のウソみたいな爆笑ネタ提供と大天然は尽きることなく、突っ込む私のギャグもカミソリのように冴え渡り、あのどシャイなT兄が爆笑しながら積極的にMC的立場になってしまう。
〈よりみち小咄〉
S兄いきつけのちょっとオシャレなスナックでみんなでよく飲むけど、ほんと閉店が辛くなるほどいつも楽しい。S兄は小学校低学年の頃毎朝、近所の上級生だった久保田利伸さん(❗️)に手を引かれて登校したという。ちなみにその近所のパチンコ屋に久保田さんのお父様が通ってて、久保田さんが売れてからはお父様の台が当たると店員がフィーバーでなく「はいファンキースタートお❗️」とアナウンスしたという。
幼き日の久保田さんの薫陶なのか、S兄さんは信じられないほど歌が上手くて聴き惚れる。得意は北島三郎を憑依させること。
私は金爆やメタルやスーパー戦隊モノを歌って踊って、Zな女の子や男の子に目をウルウルされる。若い女の子にモテるのは、昔からよくある。常連のエレガントな年輩の社長さんにはよく「いつも美しいねえ、徳がある」と言われるが社長、先月は私転んで目ケガして海賊🏴☠️マークがついた黒い眼帯してましたけど…。それでもっスか?
あとここのママさん、めっちゃ美人❗️超いい女で手料理が抜群❗️私は小鉢おかわり君。
T&S兄、二人のやり取りを聞いていると、いわゆるアウトロー的な彼らと彼らの周辺(囚人・もと囚人とかがいっぱい)…の方が、世間の真ん中あたりにいるような人たちよりずっとピュアでストレートで生身の人間かもしれないなあ、といつも思う。
一方彼らはもちろん、人並みなことや富裕層に強く憧れもする。幼少期に辛い思いをした人の割合も多いようだ。
いわゆる正義に取り締まられがちな彼らはけれどしばしば、涙が出るほど心が優しくあたたかい。そして私みたいないわゆる「スピリチュアル」的頭のおかしいとされるこんな人間にもごく自然に対等に接してくれる。
もちろん彼らも人間に対する「振り分け」はする。
それは「正義」側の人々と同じくらい厳密だ。私は時々、そうやって爪弾きにされた人の気持ちを考える。どこにも分類されずいつも余っていた私と変わらない、と。
その私がなぜT兄と出会い、恋をして、また深く苦しんだのか。けれどあの日なぜ、何人もの刑事に取り押さえられそうになった瞬間何も考えずそのまっただ中に飛び込んで彼を抱きしめ「T兄をいじめないで‼️」と叫んだのか。刑事さんたちは一斉に身を引き、T兄は泣いている私を抱きしめて静かに言った。
「行くから。だからこの子に触らないでやってくれ」
彼は初めから抵抗していなかった。そのまま静かに連れてゆかれた。待っていてくれと彼は目だけで言い、私は待っていると答え、警察の人たちに深く一礼した。彼を頼みます、と。
ま、のちに優しい「東京03刑事」(私が勝手につけたあだ名。T兄にるすばんの私をたまに見舞ってやって欲しいと頼まれ、律儀にそうしてくれた。私と同世代)やいろんな人々に助けられて、生きてこられた。私はあんがい、のんきにしてた。
勾留中すぐに入籍し、半生で色々面倒も多かったろう彼は新たに私の姓を名乗ることになった。ちなみに私はそれまで戸籍上、ひとり世帯となっていた。猫の小次郎(私が命名)は戸籍上どうなるの。T兄、「長男」て言いそう絶対。
縁(えん、えにし)について感じる秋。
ケンカ別れしていた私の年子の弟とひょんなことから数年ぶりに繋がった。双子のように育った私たちは、取っ組み合いのケンカもよくしたが繋がりも深かった。絵本を読み聞かせ言葉を教えたのは私だった。十代の頃、女の子とどうやっていたせばいいのか訊かれてめんどくせえなーと解説したこともある。精神を病んだのは三人きょうだいのうち私一人ではない。実は弟も同じ病気だが、泣かない泣けない「男の子」の彼は我慢し続けてきた。
五つ上の実直で真面目な姉も我慢して生きてきた。
一番早く、ど派手に発症・爆発「できた」のは私だったというだけだ。苦しみもてんこ盛りだったが、早くに脱落できたからいまの快復と幸福があると思う。我慢なんかヤだしやめたらいいんですよ。いち抜〜けたって。気分も人生も自分で好きに選べるんだもの。
会えなくなった原家族、別れた前の夫、亡くなった最初の夫、亡くなった親友たちや師。
私はいつからか、彼ら彼女らを喪った・失ったとは考えなくなっていた。たとえ離れていても、愛しいみんなはいつも私のなかにいる。向こうがどう思ってようが関係ない。私「が」愛している、ただそれだけで。それでいい。
それを完全に教えてくれたのは、懲役で二年半離れたいまの夫・T兄だろう。離れることで。
そして私の分身・アニムスのトカゲが。
(妙なことがある。
この辺に来た頃現れた二羽のトンビにセイタカとコンガラと名付けた。私の名付けはいつも直感で、意味など知らないことが多い。
のちに調べると不動明王に仕える童子で、矜羯羅(コンガラ)童子はすなおで優しい。制多伽(セイタカ)童子は憤怒を表すという。
私の二つの性分そのものだ。トカゲはコンガラとしていつも私を優しく理解し、宥めてきてくれていたのではないか…?)
愛しい人たちとは離れても、たとえ死んでも、いつも一緒。
そう感じればいいだけ。あのまなざしが、あたたかい手が、私を抱きしめている至福を忘れるわけがない。それを感じる。ほら、いる。
私は安心して笑うようになった。
弱いふりも強いふりもヘンな人のふりもしないで済む。なぜなら胸の内側にいる人たちには、本音しか言えない。それは夫が戻ってもそのまま続き、外側にいる人たちに対しても同じになった。
何かと私たちを助けてくれて、しかも気にせず、いつも大笑いさせてくれる陽キャなS兄が潤滑油になってくれている?
月のように静かで清らかなT兄、けなげで寂しがりでシャイなのに実はドッキリを仕掛けるのが好きで愛に溢れ、厳しいところもある父の再来のようなT兄。いったいかれは何なのだろう?かれのおかげ?
書けないようなひどいことをされたり言われたこともあるが、では私は彼らやこの世界にとって何なのだろう?
先日、ものすごい風の音で目が覚めた。
怖かった。
でも、風の上に何か巨大なものがきている。声がした。
私はすぐに思い出した。
生まれて初めて、「お願い事をせず決意表明を」した神さまだ。建御名方神。偶然寄った立川諏訪神社で。(水宮チャンネル⑤)
その大風の早朝、の覚醒夢と起きてからの白昼夢を手書きのノートに書きつけていた。
『お前に風の性(しょう)と名を与える』
『お前の名は【飛ぶ花】』
『花は何よりも強い 核爆弾よりはるかに しかも戦いの周波では全くない 無数にしてひとつの永遠の生命 美と愛だけ』
(インディアンの戦士への言い伝え〈もし勝ちたいのなら 相手の目に花粉を 鼻に花粉を 口に花粉を〉)
(偶然の一致?この夏来たサーキュレーターに【フローラ】と私は名付けた)
『風は何千何万疋もいる』(いつか富士山の麓で龍の群れを見た)
『目に見える風は羽もつものたち』
※()は私の回想
翌日、イソヒヨドリのオスをすぐ近くで見た。鳴き声はたまに聞こえていたが…
その翌日(昨夜)T兄とケンカをした。
ケンカのあとに一人になって、やるとマズいこととやると良いことが私にはある。
❌いつまでも思い出して怒り続ける
❌相手の欠点を挙げては叩く
❌こんなに傷つけられた❗️ひどい❗️と被害者意識に浸る
❌謝るまで許さない、と思う
❌仕返ししてやる、と思う
以上はマズいからやらず、↓こちらをやる。
⭕️とにかく怒りや悲しみや不安、悔いなど(ネガティブ感情)を手放す
⭕️自分を気持ちよくさせてあげる。お風呂、香水をつける、美味しいものを作って食べる、ちょっとだけいいお酒を飲む、花を飾る、猫を撫でる、優しい音楽を聴く、自分にあま〜い言葉を言ってあげる、とにかく横になって休む、お笑いを見て爆笑、掃除をする、などなど
⭕️相手に「ごめんね 許してね ありがとう 愛してる」と、口に出して言う
⭕️自分も相手も許そう、私から謝ろうと思えたら即LINE。シンプルに、🩷を添えて伝える
即やる。条件反射みたいに。早めのパブロフ。
実際に頭であれこれ考えるより動いてしまうと脳が止まって、気持ちよくなる体に意識がついてくる。
そしてT兄からは早々に可愛いスタンプが返って、夜帰ってきたら私は猫と一緒に走って行って
「おかえりー❗️」
とできる。
リクエストの晩ごひんも出来てるがおみやげもまま、ある。
夢見たみたいな現実がすぐ起こる。
たとえイチャイチャしてなくても数年間、お互いどれほどこんな日々を夢見てきたことか。すこやかに笑う彼が毎日帰ってきて、一緒に食卓を囲んでお酒を飲んで。猫が可愛くうるさく邪魔をして。
誰それのせい、何々のせい。
誰それのおかげ、何々のおかげ。
後者を選ぶと心からうれしくてニコニコになっちゃうし、(そうだ、あれ作ると喜ぶぞ〜。お部屋もキレイにしといてあげなきゃ)とうれしく張り切れる。
誰それの?
いいえ、彼らももちろんだが、私こそが、それの出来る者になっていたのだ。
それが出来る愛しい人たちを新しい家族や仲間に選んだ。彼らの過去も肩書きもどうでもいい。みんなで大団円に向かって、おそらく私たちはこうして結集した。
風の神さまにもらった名は、そのままの意味だ。そうあれという以上に、お前はもうそれだと。力を抜いて何も心配するなと。空を舞う花が力んだり怒ったりメソメソしたり恐れたり他や自らを貶めたりはしない。ただ、飛んでいる、ただ、花。死すらどうでもいい。それもはるか下に見ながら笑って、世界中に飛んでいく。核爆弾が落ちたあとにさえ、私たちは笑って降りて、咲く。やがてそこは花野になる。あらゆるごみも汚れも栄養にして、みんなの目を歓ばせ、結実し美味しい栄養をあげる。枯れたらまた飛んでいく。ただ、個人的にはもう地球には来ないつもり。
一昨年見た麗しい飛天。今年見たついてくる虹。沢山の、出来事や事象や生き物や夢やヒトの形をとって顕れてくる奇跡。
それは「私」の別の姿で、それらを呼んだのも私だったのだ。