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In and out (トカゲシリーズ 1)

赤いビーズの首飾りがふと、棚から落ちた。
キラリ。
そこから現れた男を知っていた。初めて現れたのは8歳の時だ。私は驚いて眉を吊り上げた。
「トカゲ❗️」
男は笑いながら、斜に被ったベースボールキャップを脱いだ。
「んだよごアイサツだなー」


彼は私のつくり出したものかもしれない。でも、そうならば、幼くして知る由もないことを私が知っていたことの説明をつけることは難しくなる。
彼は私の中のアニムスであり、同時に教育係でもあった。そんなとこだ。
「まあ、なんか飲ませろよ。タバコあるか?」


トカゲはベッドにごろんと寝そべり私のiQOSをくわえ(「なんだコレ不味いな」)、安酒を優雅にちびりとやった。


「お前、還ってきたんだなあ」
「アンタの方こそ」
「教育のし甲斐はあったからな。第三段階からはハードだったけど。おぼえてるか?」
「まあねえ。死ぬとこだったもん」


「5年前だ。仕事上がりに立ち寄ってた喫煙所。あの裏通りの。あそこで、偶然会った現場監督みたいなおっさん」
憶えている。隣に立っただけで、その人がただの人ではないこととか、ある程度の地位経験があることとか、何故か分かり、とても惹かれた。下手したら逆ナンしてたとこだった。
「分かるだろ?今はもう。あれ、お前の前世での父親」
「今はね。分かるよ。懐かしくて、ついて行きたかったけど、変な意味じゃなかったんだよね」
「当たり前だ。お前は一人娘で、父親とはすごく仲良くて、お前は流行病いで早死にした。憶えてるか?」
「ええ。父は禄は少なかったけどとてもいい心の人で、植物が好きだった。庭で一番好きだった木の名を私につけた。私の名は槇といった」
「お前男勝りでな。今も変わらんな。その時の親父はそんなお前が可愛かった。貧乏でもあれはいい殿様だったよ」
顔を憶えてる…父さま。


「3歳の時のことばかりキョーレツに憶えてるだろ」
「うん。浮いたりしてさ。林の中で」
「一人ぼっちだったけど、そうじゃなかった唯一の時だからだ。まだ未分化なもんだからな。前の生を出て、また入ってから」
「なんとなく憶えてたよ。ママが…」
「2歳の時のことだろう?彼女がお前にとって以前は娘だったって分かったのは」
「ウン。なんか突然」
トカゲはもう一本、吸いたそうだったが、私にホルダーを回してくれた。
「ホレ。なーワインねえのか?」
「フンあるわよ、一升八百円のシロモノだ。あたしには高いんだから心して飲んでよね」


トカゲは笑う。切れ長の綺麗な眼がキラリと光る。
「そう。お前には黄金を求めさせないよう、俺は育てた。そういうお達しでな。代わりにお前を黄金に育てるようにと」
プラスチックの、それでも姿の好いワイングラスを二つ用意して注ぎ、片方を渡しながら訊く。
「アンタは誰なの?」
「お前が想像した通りのものさ。あと見えてるくせにウソつくなよ。ウソついてたらあとあと苦しいぞ。他人には何が見えてるかは繕わにゃならないがな。それも教えたはずだけどー?」


8歳。それは地獄だ、と先生やお医者はあとから言ったが、はじめからそこに生まれ育っていれば子どもには分からない。
お風呂で鏡を見た時、別の男の子がいた。
私の顔なのに、違う。
魂も違う。
なのにいる。
彼は私の教育を始めた。
厳しかった。


どうすれば男に好かれるか、人に好かれるか、徹底的な、実地付きの講義。ぐしゃぐしゃになってひしゃげても彼は許さなかった。私の中で燃え盛る焔。


「どんな形でもいい。カネやツラじゃなく、とびきり上等な魂の奴についていけるようにしろ。それにはお前がそいつと同等の魂を持ってないとならない。それでここを出ろ。ここじゃいずれ殺される。嬲りものにされる。その前にだ。見た目と、それ以上に精神を完璧にしろ。きついぞ。死ぬかもしれない。そしたらしょうがねえその時だ。でもお前の生まれた意味を腐らせるわけにはいかない。お前はもう一人の俺で、俺は来たかったし、それが役目だ。これからぶん回すぞ。全部忘れろ。生き延びろ。五月蝿い奴は構うな。肉親だ?あんなもな捨ててまったく構わん。一般常識とやらにとらわれんな。常人に耐えられるか知らねえが、多分お前は生きるよ。ある程度は」


よくもまあ。


本当に、もうこれ以上耐えられなくなったら?
「あの樹の下に行け。でなきゃ川に行け。お前の養い親だ。お前は思い出すだろう」


でも、すべてトカゲの言った通りになった。
「しかし、お前よく寝てたな。長いことグースカと。危なくお前の血縁らと同じになるとこだった」
「なんで、また私に分かるように、また来てくれるようになったの?」
「あのなあ。たとえば俺がリオのカーニバルみたいな衣装で来ようがお前の生家みたいに放火で燃やされようが、起きない奴は起こしてやれないよ。俺は神さまじゃないしさあ。気づかなければそのまま死ぬ。で、出たり入ったりを続けるだけだよ」


In and out。
出たり入ったり?
この世を出てまた入って、ドア開けてまた出て、オスとメスの交わりも入れて出して、口から食べ物や水を入れて下から出して、息を吸って、吐いて。


出たり入ったり。
意味にとらわれると正気を失う。
かといって人間以外にはなれない。苦しくて楽しくて、忘れてまたいちから始める。
このままに。


「ちょっと!そんなに注がないでよね!私も飲むんだから」
「ケチんなよー。教えたろ?心のケチは、入れたら…掴んだらさいご、離さない。そういうのをなんて言ったっけか?」
「サイアク。よね?そしてそれは執着。愛じゃない」


私は笑って、グラスを満たしてやる。こんな風に、じゃれてきた。
何十年経ってもトカゲは粋な男のまま、いつもの友達。この世にいもしないのに。
「執着を完全に手放すことが出来ないのは弱いことだ。でもまず無理だ。自分は強い、綺麗だ、偉い、人とは違う、ウチの子世界一とかって思って息巻いてる奴ほど執着の虜だよな。何しろそれを無くしたらかたなしだ。生きる意味も力も失う。まあ千人いたら大体…」
「九百九十なん人まではそうねー。老若男女国籍関係なくねー。私も含めてそうじゃない?」
「もしそうなら俺がこうして出て来れたと思うのか?」
「……」


「突然、変異を察知できるようになったろ?5年前。あの神社で目を返してもらってから。で、もう、大抵の人と話しても真のとこじゃつらい。
見えてしまうからだ。そして『まとも』な話ができる奴は稀有か、沈黙してる。身を隠してな。心スポを楽しむとかパワスポとかワケわかんねえだろ。違うか?」
トカゲはぶすっと言った。
「お前は特別なわけじゃない。それを自分でわきまえてんのは、まあ及第点だ。タバコ回してくれよ」


私たちの肺を出たり入ったりするけむり。
喉から流れ落ち、下へ流れて出て、めぐる生命の水。生命じたい、出て、いつかまたここに入ってくる?
また同じように?
3歳の私はそれも多分分かっていたはずだが、言語ではない。
感じていただけ。
一体だっただけ。
そして池や川の水たち、花や他の生き物たち同様、感じていた。
モウココニイラレナクナル、ソレデモイタラ変ナ病気ニナルカ変ナ風二死ヌ。ソシテモウココへハ還ッテ来ラレナクナル。


トカゲ。赤い、私の、最初の男。
今週やること、あらかた終わったんだ。
飲もう。
だいすきだよ、人間ではない、私の中の友達。神さまなんかへーだと言わんばかりの、聖なる悪童教師の兄貴分。
あなたも、私から出たり入ったり。
いつかちゃんと会えるだろう。この体を出た時に。

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