『ひみつのアイプリ』22話が滲ませた「好きを諦めなくてもいい」の意味
4クールアニメの良い点の一つに本筋には直接関わらない「単発エピソードの魅力」があると思っている。
ゲストによりメインキャラクター達の魅力が掘り下げられたり、時事ネタや季節イベントなどにより過去や家庭環境が描かれたりする単発エピソードは、本筋に関わらない分自由度が高く、それでいて「その作品らしさ」を求められるので物語やキャラクターに厚みが出る。
そうした単発エピソードがあることが、作品そのものやシリーズ全体の魅力を磨いていくと思うのだが、『ひみつのアイプリ』22話「はしれ!あの子の初恋」はそんな「シリーズ全体の魅力を磨く一話」だったのかもしれない。
22話「はしれ!あの子の初恋」のあらすじは「クラスメートが恋をしている事に気づいた主人公が、恋を成就させるために応援する」と言ったもので、「主人公はクラスメートが恋をしている相手が自分の兄だと思っている」という要素を除けば比較的王道的なエピソードだろう。
クラスメートに「好きな人はいるの?」と聞かれて親友の名前を上げ、「LikeとLoveの違いがついてない子」として扱われる主人公には笑わせてもらったし、「クラスメートの背中を押すためにライブをする」というのもアイドル物らしさが生きており面白かったのだが、特に良かったのは「好きでいることを諦めなくても、いいんじゃないかしら」という台詞だ。
この台詞は恋をしたクラスメートが失敗してしまい落ち込んでいる際に登場した台詞なのだが、誰かを好きになってしまった事で生まれたものを肯定している。
「諦めなくてもいい」というネガティブの否定で留まっている点には奥ゆかしさもあり、これ単体で聞いても素晴らしい台詞なのだが、このエピソードの締めくくりが「クラスメートが恋をしていた相手は主人公の兄ではなく、同じクラスの女子であることが判明する」であったことまで見た上で、「好きでいることを諦めなくても、いいんじゃないかしら」を考えるとまた別の意味が見えてくる。
子供向け作品とは「これから先の未来を生きる存在へ向けた作品」である。
そんな「未来を生きる存在」に「今大人として、人間として何を伝えたいのか」というのは大切なことだと思う。
今回の「好きでいることを諦めなくてもいいんじゃないかしら」はそういう「制作側が子供に伝えたいこと」を表した台詞としても素晴らしい事をやっていると考えている。
今はわからなくてもいい。でもあの時『ひみつのアイプリ』で見たことは、きっと子供達の中で意味があるものになると思う。
そういう「好きでいることを諦めなくてもいい」社会になっていることはやはり理想だし、ひまり達のように応援できる人間が増えていることはとても素敵なことなんじゃないだろうか。
そういう作品になることを意識したのかどうかは知るよしもないが、男子も女子も大切に描いてきたプリティーシリーズの最新作としても、『ひみつのアイプリ』という作品としても、こういうエピソードがあったことは全てを魅力的にしてくれる。最高だった。
次は「こういうエピソードを日曜朝から見てしまうと、一日何もやる気がしなくなるから困っちゃうのだが、これは大人としてどうなのか」という問題に向き合っていきたいと思います。