『劇場版仮面ライダージオウ Over Quartzer』を見て平成を終わらせろ

30年続いた「平成」という時代は終わり、そして「令和」という新たな時代が始まってから既に3ヶ月が過ぎた。
「令和」という耳慣れない言葉にもすっかり慣れ、平成に打ち消し線の入れられた書類を見てももう何も思わなくなったし、新時代を迎えた時のそわそわ感はもう心のどこにもなかった。平成最後の夏とさほど変わらない猛暑の中で、Twitterに「まだ劇場版ジオウを見ていない」的な事を書き込んだところ以下の反応があった。

「驚いたな、まだ平成を終わらせてないのか」

馬鹿な。平成は終わっていなかったというのか……。というか自らの意思で「終わらせる」ものだったのか……。
全く知らなかった。どうやら私はまだ新時代を、令和という時代を生きていない平成の亡霊とでも言うべき存在だったようだ。そして「平成を終わらせたものにしか令和を生きる人間になる資格はない」……。
だったらこの手で平成に引導を渡してやる。終わらせてやるよ、平成という時代を!そして今度は私の意思で迎えに行こう、令和という時代を!

そんなわけで平成を終わらせるべく『劇場版仮面ライダージオウ Over Quartzer』を急ぎで見てきたわけだが、「平成という時代が完璧に終わった」という手応えだけは確かにある作品だった。
問題作といえば問題作だろう。というか問題作としか言いようがない。どこを切り取っても「白倉ァ!」と東映取締役兼仮面ライダージオウのプロデューサーである白倉伸一郎の名前を叫びたくなるようなものしかない。「奇祭」呼ばわりされがちな春映画の文脈そのものであり、これが『仮面ライダージオウ』という作品の単独映画として君臨させようとする判断そのものが「イカれてる」としか表現できない。

ただ「平成」という時代が生み出したものの一つである「平成ライダー」と、その「平成ライダーの集大成」である『仮面ライダージオウ』のラストエピソードとしてはあまりにも完璧すぎる。
「遅れて入稿された平成の最後の1ページ」と言ってもいい作品の仕上がりっぷりにもうよく分からない感動で胸がいっぱいだし、時代の終わりと新時代の始まりが入り混じった一年に「こういう作品が生まれたこと」はとても強い意味を持つ。少なくとも私はそう思うのだ。

以上のように『劇場版仮面ライダージオウ Over Quartzer』は今この瞬間にしか成立せず、今見ていなければ「クソ映画認定待ったなし」と言い切ってもいいほどライブ感とリアルタイム性に振り切った作品なので、まだ平成を終わらせていない人達は最後の1ページを埋めるべく可及的速やかに見に行って欲しい。
あと10年もすれば「美しいもの」として語られるだろう平成。その時代の集大成とも言える作品で「本当にそうかな?」と述べてきた本作が2019年に存在していた事実は、本当に大事な事だと思います。

(以下はネタバレなので有料扱いで)

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