キンプリ

『KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-』背負うさだめで心火を燃やす太刀花ユキノジョウの第二話

『KING OF PRISM -Shiny Seven Stars-』第一話は「最速・最短・最効率で最終決戦直前までたどり着く」という構成だった。
映画館で初めて一話を見た時は「話としては大体分かるので別に良いのだが、なぜ最終決戦直前まで一気に物語を持っていくことにしたのだろう」と疑問に思っていたのだが、続けて始まった第二話「太刀花ユキノジョウ いざ、参る!」を見てその謎は氷解した。

「一話につき一人、ステージに上げるためにはこうするしかなかったのだ」と。

恐ろしいまでの割り切り具合である。しかしそうした割り切りがあるからこそ、プリズムジャンプ一つ一つにプリズムスタァ達の人生を感じさせる物語を紡ぐことが出来たのもまた事実だろう。
これを書いている私は「プリティーリズムのあの濃密な物語を作り上げた菱田正和監督が魂を込めた作品」として『KING OF PRISM』を見ているので、その凄まじいまでの割り切り具合に気づくと「流石菱田監督……。エピソードの取捨選択が上手すぎる」と心酔し、「やはりこの監督はおかしい」と確信したわけだが、そんな菱田監督の勢いのある第一話に続く形で、第二話を担当したのは坪田文。『プリティーリズム・オーロラドリーム』の頃から脚本を担当し、『プリティーリズム・ディアマイフューチャー』では終盤のグレイトフルシンフォニアを作り上げ、『プリティーリズム・レインボーライブ』では主人公チームの一つベルローズ周りのエピソードを手がけた脚本家である。
これを書いている頃だと「『HUGっと!プリキュア』のシリーズ構成」と表現するのが一番分かりやすいかもしれない。
ともあれ「プリティーリズムシリーズと縁が深く、ほぼあの濃密な物語を作り上げるのに貢献した功労者の一人」である坪田文が『プリティーリズム・レインボーライブ』のスピンオフである『KING OF PRISM』の第二話で脚本を手がけるという事実はファンにとって「親を質に入れてまでも見るべき一話である」ということを意味する。
おまけに担当する話は太刀花ユキノジョウ。何も知らずに見て、スタッフロールで女史の名前を確認した時からずっと言っている言葉を改めて述べておこう。

「坪田文、最高かよ」

さだめの重責と向き合う覚悟

一話冒頭で述べられていたように、太刀花ユキノジョウは「歌舞伎役者の息子」で「名門・国立屋の七代目」となる少年である。プリズムスタァとしての実力も、プリズムキングの座をかけた戦いにおいて「エーデルローズの代表」として氷室聖が速水ヒロ、仁科カヅキと共に選んでいる点から見ても申し分ない。
にも関わらず、彼はなぜかプリズムキングカップ出場の権利を一条シンに譲り渡した。「仲間達もそう思っている」というもっともらしい理由をつけて。

第二話はそんな「もっともらしい理由をつけて、プリズムキングカップに出場しなかった」という点から切り込み、太刀花ユキノジョウが自分自身に向き合う話なのだが、この物語で重要になっていたのは「重責」だ。

「国立屋七代目」という看板。望みながらも女性であるがゆえに舞台に立つことが出来ない母親の思い。何度指導されても魂が宿る気配すらなく、父親の期待に応えられない辛さ。

それらが全て太刀花ユキノジョウの体に流れる「血」として表現され、彼を縛る鎖となっていく。

プリズムショーすらも「歌舞伎から逃げるためだったのかもしれない」と語るユキノジョウ。その双肩にかかる重荷は、作中でカケルが述べるように「本人にしか分からない」。
そのことを強く理解しているからこそユキノジョウは苦しむし、理想の型にまるで届かない自分の至らなさに苛立ちと焦りを覚えてきたわけだが、しかしプリズムショーの世界は彼に教えてくれた。

自分の悩みを聞いてくれる仲間がいることを。そして自身が背負ってきた「さだめ」と向き合う覚悟を。

そんな太刀花ユキノジョウのプリズムショーはまさに「太刀花ユキノジョウそのもの」と言ってもいいものだった。
七代続く国立屋の看板を背負い、舞台に立つことすら叶わない母親の思いを胸に、父親の期待に応えるが如くステージの上で軽やかに舞う。
氷室聖に影響を受けていることと踏まえての「シャイニングスパイラル」を意識した国立屋スパイラルはまさに「太刀花ユキノジョウ」を確立した瞬間だと言える。
その身に流れる血と向き合い、プリズムスタァとしてのルーツとも言えるプリズムジャンプと共に。太刀花ユキノジョウは心を飛躍させ、国立屋の名を体現する「太刀花ユキノジョウ」という一人の人間になっていく。

熱い。太刀花ユキノジョウが心火を燃やして舞う様は、プリズムスタァと歌舞伎役者の二つの顔を持つ太刀花ユキノジョウの熱さだ。

作中でも言及された歌舞伎の演目『連獅子』『藤娘』の拾い方も見事。
「太刀花ユキノジョウの最終回」と言っても良い素晴らしいエピソードだった(これは二話です)。

エピソードの取捨選択の上手さ

それにしても今回もユキノジョウを構成する要素の取捨選択が上手い。
第二話は「歌舞伎役者・太刀花ユキノジョウの生い立ち」「太刀花ユキノジョウの家庭環境」「敬愛する父親が一流の歌舞伎役者として覚醒した経緯」「カケル・ミナトとの風呂」「一条シンになぜプリズムキングカップへの出場を譲り渡したのか」などなど、数え切れないほどの要素がこの一話の中に詰め込まれている。

ここまで多くの要素が一話の中で詰め込まれているとごちゃごちゃしてしまって視聴者の混乱を招いてしまいそうなものだが、あくまでユキノジョウの話として構成することで一本の筋が通った物語になっている。

とりわけ秀逸なのは「母親」の要素が忘れずに入れられていることだろう。
二話で描かれているように、ユキノジョウの家は「ユキノジョウの師匠は父親だが国立屋の血を引いているわけではない」「母親が国立屋の娘」という若干ややこしいものになっている。
「父親が国立屋の直系で師匠」というシンプルな構図にも出来たはずなのに、本作ではあえて母親の存在を置いてけぼりにしていない。
「国立屋の長男」が背負うさだめの重さと、そのさだめを誰かに押し付けることは出来ない辛さを語り、父親に「ユキノジョウのプリズムショーを見てほしい」とお願いする「太刀花ユキノジョウの理解者」として描かれている。

この辺りの描写があるから「太刀花ユキノジョウ」という人間が確立されるわけなので、母親の描写の存在は最高に良かった。トリックスター?狂言回し? ともかく天晴だ。

法月仁に繋がる「親からの叱責」

余談ではあるが、父親に「プリズムショーから足を洗いなさい」と言われてそのまま引き下がった太刀花ユキノジョウを見ていると、父親に「プリズムショーに金輪際関わるな」と言われて黙り込んでしまった法月仁の姿をどうしても思い出してしまう。

太刀花ユキノジョウは「本職は歌舞伎役者でありながら」という部分があっての「足を洗いなさい」で、今までやってきたことの責任を問われる形で父親から「関わるな」と言われた法月仁とはまた事情が違うのだが、「父親から言われて何も反論できない」という点では全く同じではないか。

ただユキノジョウはエーデルローズの仲間によって「プリズムショーをやらせてほしい」という事を言うことが出来たわけで、この点では法月仁と真逆の道を歩んだと言えよう。

ということは法月仁も理解者を得れば変わることが出来るのだろうか……。そんな事を考えさせられる描写の一つではあったな、と感じた次第である。

最後に

とまあ、ここまでは第一章を見た時に思ったことを並べただけなのだが、TV放送版の強みとしてEDが追加されていることが上げられる。

しかもただのエンディングではない。TRF楽曲のカバーである。

ユキノジョウなので今回は「寒い夜だから…」というチョイスなのだが、まさか『プリパラ』でも使用された(そして配信版では当然の如く変更された)TRFの「寒い夜だから…」をここでEDとして使用してくるとは思っていなかった。『シティーハンター』を彷彿とさせる流し込みからの「寒い夜だから…」。曲のチョイスは「西さん……やりおる……」だし、流し込みには「菱田監督……さすがすぎる……」と震えた。しかも今度はED扱いなので差し替えられないし、既に映画館で見ている人間も「来週は何が流れるか」でワクワクできる。最高かよ。michitomoさんの編曲も最高なので来週以降のサプライズ枠として楽しみにしている。

そんな来週はストリートのカリスマ仁科カヅキに憧れるタイガの当番回。
今まではストリート系としての姿しか見せていないタイガの渾身のプリズムショーを見てほしい。

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九条水音
プリズムの煌めきを広めるためによろしくお願いします。