しゃべるピアノ

 彼女がピアノを始めたのは、声を失ってからだという。


 音楽は好きだったが、自分で楽器を演奏しようと思うことはなかった。ある時、事故で声帯を傷付けてしまい、友人とおしゃべりすることも出来なくなった。

 失意の彼女が出会ったのは、駅に置かれた一台のピアノだった。通りすがりに誰でも弾ける、いわゆる駅ピアノだ。

 彼女は何の気無しに一つ鍵盤を押してみた。すると、ピアノがしゃべったのだという。

『どうしたの?』

 確かにそう言った、と彼女は言った。さらに弾いてみると、

『元気出して』

『私でよければ』

『お話しよう』

 気がつけば、彼女はたどたどしくピアノを演奏していた。全てはそこからだった。


 もっとピアノとおしゃべりしたい。その一心で彼女は毎日ピアノを練習し、毎週土曜日に駅でピアノと会話している。

 彼女が演奏している時、ピアノの音と共に、かすかにしゃべっているような声が聞こえる。

 ――とても、楽しそうに。

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