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二つの虹とスーパームーン

悩んでいた発達障害の検査が無事終了しました。小さい頃からの違和感。私は何者?がいよいよ明らかになるかもです。

まさに、破壊と再生という感じでしょうか?

相変わらず、手の痛みはありますがこれも勇気を出して病院へいってみようと思います。

私が自然の力から後押しされていると感じていることは
勇気を出して踏み出そう。
世界は楽しい💕というメッセージを感じること。
この感じひさびさ。
風向きが変わってきたように思います。
勇気をだそう。わくわくの形に進化させながら継続しよう。

満月の夜、タロット占いをしながらそんなことを感じました。

母に対しても考え方が変わりました。
『自分の子供には感情を押さえて温かく接しようと努力できるのに、親にはなぜできないの?』

と、問われてから

破壊💥だったのかメッキが剥がれたのか、何かが私のなかで強制終了され
寂しい老人として新たに認識されたのです。

アドラー心理学からみた年老いた親との関係を構築する本をよみ、

親という関係にある一人の人間が、
老いていくという不安にさいなまされている。
この課題は
親自身が超えるべき課題なので当然変わってあげられない。
頑張ればあさん!

一人ひとり生きていく上で勇気をだして乗り越えるべき課題があり、
生きる意味はフランクル的に言えば
『人生の期待にどう応えていくか』
生きる意味を探すより、自分の人生の課題をのりこえ生きることに意味がある。

という感じなのかと。

なので、目の前の母が
私の目の前にあるスクリーンの中で嘆き、時には笑う物語を見ながら

30分程度は彼女の何度も繰り返される同じ話を初めて聞いたかのようににこにこ相槌をうちながら聞き、小さな子のように満足した様子をみて老婆の中年娘の役を演じて去る。

という冷めた感じの
俯瞰。
というより宿題みたいなものですね。
楽しくないけどやって提出しなきゃいけないから何にも考えず終わらせよう
やるべきものならやらないときは対峙する覚悟を。でも、そんな覚悟は別に使おう。面倒なら終わらせよう。
という感覚かな。

親のせいにしていても
親は変わらないし、自分は辛いの越えて、なにやってんだろう?と自分自身に呆れてしまって。
分かち合えないとか
あるよね、普通だよ。
と。

でも、ばあさんが楽しい人生だったかもなーと思い、亡くなっていけるよう子供としての課題だけはやるべきだろうと割り切れました。余りなし。

そして、セルフネグレクトせず私も勇気をもち再生していこうと思います。

今までのわたし、ごくろうさまでした。ここからはパラレル別の国からきた元気なわたしが楽しい人生を切り開くご案内をし、体験していきますよ。

あなたの人生はまだまだ面白い。
奇跡的な喜びはまだまだ起こるのだから、不安に負けるな。不安なんか妄想だ。何とかならないときも何とかしてきたその力があれば大抵のことは大丈夫だよー
って

人生、後半戦はじまりました。
楽しもう。😊

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