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中編小説『最初の人』14

「あの、小学校の頃の同級生で集まろうっていう話が出てるんですが、桜さんの連絡先が分からなくて。だから、直接来てしまったのですが。俺、幹事なもので」
 俺が話すまでに少しの間が空いてしまった。その間におばさんはなにを思っていただろう。
「そうなのね、桜も誘ってもらえるのね。わざわざありがとう。でも、誰かから連絡先を教えてもらえばよかったのに」
「あ、いえ、俺も実家に帰る用があったもので。別に手間じゃなかったですから」
 俺はとっさに言葉を返す。
「でも、桜、今こっちにいないのよね。今、横浜に住んでるの。もうすぐ結婚する人がいて。あ、でも、夏木くんが来てくれたっていったら、あの子も喜ぶよ、きっと」
 桜ちゃんも同棲している。俺はそう思った。
「そうなんですね。あ、じゃあ、連絡先だけ渡しておきます。別に来れなかったら、連絡しなくても大丈夫です」
 俺はそういって、背負っていたリュックから、ノートとペンをとり出した。ノートを開いて、連絡先を書く。心臓が強く脈打っている。書き終えると、紙をちぎって、おばさんに渡した。
「ありがとう。桜に伝えておくわ」
 おばさんは連絡先を受けとる。
「夏木くんはおつき合いしてる方はいないのかしら?」
「あ、います」
 俺は狼狽えながら答える。
「そうなのね。じゃあ結婚ももうすぐ?」
「はい、実は婚約してるんです」
「そう、おめでとう。夏木くんかっこいいし、しっかりしてるものね」
 おばさんは握手をして喜んでくれた。
「いえ、そんなことないです。桜さんにもおめでとうとお伝えください。じゃあ、失礼します」
「桜にも伝えておきますね。わざわざ来てくれてありがとうございました。話はちゃんと桜にいっとくから。ほんと、夏木くん、なつかしかったね」
 おばさんに見送られながら、家を後にした。俺はおばさんと話せたことが嬉しく、また同時に、失恋を味わったような気分だった。
 用事を済ませてしまうと、することがなかった。これから、どこへ行けばいいのだろう?
 
 由希子は俺が家に帰ると、姉夫婦に会ったことの感想を訊いてきた。実際に会っていない俺は、適当に話をでっちあげたが、由希子が疑っている様子は見られなかった。
 俺は結局、桜ちゃんの家を後にすると、そのまま特急電車に乗って東京へ戻り、新宿駅で時間を潰した。
 駅構内にある書店に入ると、意味もなく店内をぶらぶらと歩いた。そして、雑誌、文芸、時事、心理学のコーナーを順に回ると、書店を出た。そのあと、同じく駅構内にあったそば屋に入り、たぬきそばとビールをジョッキで注文した。このまま帰り、由希子となにか話すことが煩わしく思え、素面で帰るのは嫌だった。
 しかし、由希子はアルコールが入っていることに追及することはなく、自分がどう過ごしたかを話した。由希子の観たDVDは、幼馴染の友達同士、ドラマチックなプロポーズを邪魔し合うラブコメディで、キャストも内容も満足するものだったと由希子は話した。
 由希子の頭の中は、結婚一色のようで、なにか責められてる気がした。
 話が一段落すると、風呂に入った。湯船に肩までつかり、今日起こったことを振り返る。彼女の家に行ったことがもう昔のことのように思えた。
 しかし、由希子の話は現実を強く意識させる。現実を麻痺させるには、アルコールがもう少し必要だ。
 風呂から上がり、さらにグラスでビールを飲む。ソファでテレビを見ながら飲んでいると、由希子がビールとグラスを持ちながら、隣に座りに腰を下ろした。
「疲れてる?」
 なにか考え事をしているように見えたのか、そう問いかけてくる、
「ん、ああ、別に。由希子は大丈夫?」
 一応の気遣いを見せたが、本心から出た言葉なのか、自分でも疑わしい。
 しばらく相酌していたが、体が強く触れ合うようになる。由希子が顔を近づけてきて、それに応えるように唇を重ねる。始めは舌と舌が重なる感覚に恍惚とするが、次第にそれは麻痺してきて、惰性で唇をむさぼっている感覚になる。それは、結婚へと通じる惰性であり、現実だった。
 結婚生活、それは惰性と現実を受け入れる者にだけ許される生活なのだろうか。

(続)

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