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Beethoven「ピアノソナタ第23番『熱情』第2楽章」(私の暮らしを彩るもの#90)

1楽章はこちら


さて、第2楽章について語ろう。

第2楽章は1楽章にハマった4年後くらいに知ることになる。

大学生の頃だろうか。
ちょうど音楽で傷ついた心を、音楽で癒すことを覚えた時期だった。
音楽で追った傷は音楽を通してでしか癒せないことをこのころ知った。
例えば落ち着く音楽に耳を澄ませるとか、好きな音楽を自分の手で弾いてみるとか。

出会いは単純で、1楽章を聞いていたら次に流れてきたことだった。
「なんだこのきれいな和音は!?!?」と思ったら、熱情第2楽章の冒頭だった。

美しい和音によるシンプルな旋律。
後半の16分音符のキラキラコロコロした感じ。その美しさ。かわいさ。
静かなところで2楽章を聴くのは初めてで、そこで私はその曲の虜になった。

すぐにピアノに向かって、家にあったソナタ集から熱情を探し、自分で弾いた。
冒頭の第1主題の部分のひとつめの和音を押した瞬間、すごく心が綺麗になって軽くなるような感覚があった。
後半はむずかしかったけれど、弾けると満足感があった。

このころはコントラバスばかり弾いていたので、自分で和音を発するピアノの魅力を再確認できた。
それから私は長く放置していたピアノをちょくちょく弾くようになったのだった。

それにしても、なんでこんなに心がおちつくんだろう。
病気になってから、私の心はそわそわざわざわしっぱなしだったが、この曲を聴くとすーっと楽になれるのでよく目をつむって聴いていた。
あんまりやると効果がなくなるので、そういう存在の曲を見つけては乗り換えて、でも熱情に帰ってくるのであった。

1楽章の記事で「激しい恋の感情」について書いたが、これは「純粋な恋の美しさ」なんだろうなと、恋をしない私は勝手に解釈していた。
理想だけ並べたらこんな感じなんだろうなと思った。
恋をしない私は、熱情の第2楽章のような感情に憧れ、そして第1楽章と3楽章を聞いて現実はそう甘くないんだろうな、と思っていた。

音楽が私を癒すだけではなく、私に圧倒的に欠けている様々な「感情」を補完し、大人にしていくようになったのは熱情がきっかけだった。

そして第3楽章にはまたその3年後に出会うことになる。

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