君は木を植えたか #未来のためにできること
『木を植えた人』という短編小説がある。フランスの作家ジャン・ジオノ著、中学校の国語教科書に採用されていた作品なので、読んだことがある人も多いと思う。
フランスの山岳地帯で孤独に暮らす羊飼いが、何十年もの間ひたすら黙々と荒れ地に木の実を植え続け、やがて森を蘇らせるというお話だ。
たった一人で荒れ地に住んでいたので戦火に巻き込まれることもなく、彼は何の見返りも求めずこの荘厳な仕事を成し遂げ、やすらかに生涯を閉じる。
これを読んだ当時は深く感動し「大人になったら木を植えて砂漠を森にするような立派なことをしよう」と思っていたのに、部屋の観葉植物すら枯らすような怠惰な人間になってしまった。あのころはネットもなく林業やNGOの存在を知らなかったとはいえひどい結末である。
木を植えることは今からでも遅くない。
ただ、植える場所がない所に住んでいたり、いまさら森を作ろうという大人はそんなに多くないだろう。あの作品には『祈り』に近いものも感じるので、目の前の現実を生きるので精いっぱいな大人たちはそういう宗教的なものを感じる心の余裕がないかもしれない。
でも、人を育てたり、少しでもより良い未来へ進もうと考えて行動することはできる。それは部下や後輩の育成でもいいし、育児でもいいし、友達や家族を大切にするとか、ゴミを分別するとか、環境団体に寄付するとか、どんな小さなことでもいいと思う。
『木を植えた人』も、ただただドングリを土に埋めていた。
それが長い年月を経て、広大な森になった。
私が未来のためにできることは、壮大な砂漠緑化計画ではなく、まずは自分の目で見える範囲で、可能性を植え育てていくことだと思う。
まずはドングリを植える第一歩。
自分がこの手で植えた希望や可能性なら、その種が咲こうが枯れようが鳥に食われようが花開こうが経験という自分の糧になる。責任を他人に負わせることのない、自分だけの誇れる森だ。
日々をしっかりと生きながら、荒れた山に植林するようなプロジェクトがないか調べてみようと思う。「気にして、行動してみること」だけでも世界が少し変わる。
私は、私の次の世代に希望を遺していけるような生き方をしたい。
【追記】後日、WWFの「森を守るピース(森林保全)」へ少額ですが寄付しました。
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