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てぃくる 375 最後の最後
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ほとんど全ての落葉樹が葉を落としてしまった中で、一本のモミジが見事な紅葉を見せていました。他の木と同じに色付いたわけではなく。他の木々が装った頃にはまだ緑で、他の木々の紅葉がピークアウトし、散り始めた頃から一気に赤くなったのでしょう。
最後の最後に己の美しさを誇っている姿を見ると、いつ映えるのかというタイミングが必ずしも他者と同じでなくてもいいんだと思えますね。
ただ……。
画像のモミジが他の木と同様に色付けなかったのは、他の木の下に生えていて、虐げられていたからです。光を十分に受けられなければ、少しでも長く緑の葉を維持しないと生き延びられません。我慢してやりくりしてきて、最後の最後に光を受けられるようになった時には、もう葉の機能が終わり。赤くなったら、あとは散るだけです。
最後の最後まできりりと赤いモミジを愛でる人間とは裏腹に、モミジの方はもう少し緑でいたかった……と恨み節を漏らしているかもしれませんね。
◇ ◇ ◇
これが樹木のことであれば自然の摂理ですが、人間の場合はそうはいきません。
わたしたちは、いろんな理由で下生えの立場にならざるを得ないことがあります。日の当たらなかった人々が何かのはずみで脚光を浴びると、長い不遇の時があってこそ今の成功という論調が必要以上に溢れるんですよ。
でも……。それは違うんじゃない? わたしは首を傾げてしまいます。
長い不遇の時は、彼らにとって本当に必要だったの? もっと早くに不遇が解消されていれば、彼らが手にできたものはもっと豊かだったんじゃないの?
結局ね、誰もかれもが成功した姿……紅葉した姿しか目に入れない。評価しない。それでいいんでしょうかねえ?
◇ ◇ ◇
葉は生産器官であると同時に、水や養分の消費者でもあります。落葉樹は、寒さで生産効率が落ちて消費が生産を上回ってしまう冬をしのぐために、葉から栄養を回収して切り捨てます。紅葉は落葉に至るまでの一様態に過ぎず、わたしたちが評価している最後の艶姿の美醜や価値観は彼らには一切意味がありません。
でもわたしたちは、無意識のうちにいろいろなものを重ねて見てしまうんです。
最後の最後に装うモミジを見上げて……思わず顔をしかめてしまいました。
(2017-12-19)