てぃくる 603 変化
ブロック塀に、ナツヅタが張り付いています。それほど珍しい光景ではありませんよね。民家の外構に、ブロック塀やツタを使うことはよくありますから。でも、これは昨年の画像。今はもう見られないんです。
不思議だなあと思うんですが、上記のような話をすると、ほとんどの方がツタが撤去されたことを思い浮かべるんですよ。
「ツタって、ものすごくよく茂るもんね。家が傷んじゃう。このお宅でも管理しきれなくなったんじゃない?」
わたしは、そうですねと適当に相槌を打っていました。だって、実際はその逆ですから。ツタは毎年きちんと剪定されて蔓が整理されるので、今年も新しい枝葉を伸ばしています。無くなったのは、ブロック塀の方なんです。
☆ ☆
昨年、大阪を襲った地震。倒壊したブロック塀の下敷きになった小学生の女の子が亡くなるという痛ましい事故が起きてしまいました。
工事や検査の手抜き、専門家による警告の無視など、事故は天災ではなく人災ではないのかと非難の声が上がり、それを機に諸学校の外構におけるブロック塀の撤去が一気に進みました。わたしも通勤時に画像のブロック塀の真横をいつも通っていましたから、倒壊の危険の少ない軽量遮蔽板への置き換えが行われてほっとしています。
それは望ましい変化。災害時に凶器に変わりうるブロック塀は、そろそろ役目を終えつつあるのでしょう。その変化の記憶は、いつの間にか時代の波の中に飲み込まれて風化していきます。
ブロック塀にしても、最初は土塀や生垣を代替する構造物だったはずです。ブロックを積み上げるだけで簡易にかつ安価に構築でき、コンクリート製なので劣化しにくくて丈夫。メンテも不要です。それは、手入れの必要な旧来の外構をあっという間に駆逐していきました。わたしの記憶には、どこにでもブロック塀のある風景が今もまだ焼き付いています。
しかし。大きな地震が頻発するようになって、ブロック塀がどんどん減ってきました。そのうちブロック塀という存在自体が、珍しい遺構のように語られる時代が来るのかもしれません。
一方で、ツタはいつものように今年も枝葉を伸ばし、塀の上からひょいと顔を出しているんですが……。新設された遮蔽板には取り付きにくいようで、これまでのような勢いがありません。
まあ、あんたは変わらずに生き延びたんだから、それでいいじゃない。慰めにもならない言葉を、ゆらゆら落ち着きなく揺れるツタの蔓にひょいとぶら下げて。
わたしもまた、変化していきます。望ましい方向にも、望ましくない方向にも。
家空いて塀の中にも秋の風
(2019-10-01)