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てぃくる 824 隠れて見ている
それが監視であっても、警護であっても、見守りであっても。
誰かを陰から凝視している者は、ストーカーや変質者に見える。
ただし、見つめている者と見つめられている者の人数比によって、視線の印象は変わる。
見つめている者一に対し、見つめられている者一の場合。
もっとも相互に視線を認識しやすいパターンであり、見つめられる者にもっとも嫌悪される。
視線に好意をこめていても、好意と受け止めてもらえることはまずない。
ストーカーと誤解されるのがおちである。
見つめている者一に対し、見つめられている者多数の場合。
見つめられている者は、ほとんどの場合視線を感知できない。
その視線にどんなに強い悪意がこもっていても、看過される。
したがって、その行為は多くの場合人間観察とみなされる。
見つめている者多数に対し、見つめられている者一の場合。
それを衆人環視と言う。
視線には好奇、侮蔑、差別、嫌悪……いろいろな色が混じるが、総じて好意と受け取られることはない。
その視線は、時として人を追い詰め、殺すこともある。
見つめている者も見つめられている者も多数の場合。
相互監視社会の典型である。
もっとも、監視者の多くはすでに機械化されているため、我々が監視を意識することはむしろ少なくなっている。
それがために、思わぬところでひどく恥をかくことがある。誰も見ていないと思ったのに、と。
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人を見るから視線をけどられるし、気味悪がられる。
隠れて見る対象が人でなければ、問題あるまい。
そう思って、フェンスの隙間から咲き残りのクローバーを見つめた。
しかし、すぐに咎められた。
「何を撮っておられるんですか?」
肘鉄を食らわし損ね蚊に刺され
(2021-08-29)