白靄が立ち上る朝に
混みあった電車内では人のスマホの画面が意外と覗ける。ゲームをしてたり、動画を観てたり、漫画を読んでいたり、そんな人が多く見える。人を見ているつもりが自分もその一部で、それが変わらぬ日常というものを構成してくれている。
そんな日々に飽きた時にふと今の自分から変わりたいと思う。体を鍛えたり、勉強したり、誰かに会いに出掛けたり。けど、そんな修練を積んでもあんまり変わった気がしない。いや、実際は筋肉がつき、知識を得て、人の多様性を知って確かに成長したのだし、周りからもそう言われるかもしれないけど、本人はなぜだかとても変わった気はしない。
どうしようもない「自分」というものが余計な贅肉のように付きまとっていて、見ている景色は昨日とおんなじだった……
大きく自分が変わったと思うのは、まったく自分の得にもならないのに、知らない誰かに優しくしたりするときなのかもしれない。
「献身」という生物の合理性を越えた行動をしたときに、「変わってやる」という強烈な自我で切り開こうとした世界では見ることができないまったく別の世界が目に映る。
「ちゃんと生きていけるような」自信を得て、おれはみたよ。
昨日まで見ていた景色と今日は違うんだ。
街全部が空全体が光を放っているような舞い落ちる葉っぱが裏側まで透けて白く見える光輝く世界。
おれはそれをほんとうにみたよ。