LUFTMENSCH

今日はいいさ 明日も悪くないだろう でもこんな毎日の果てその先どうなっていくんだろう

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最近の記事

白靄が立ち上る朝に

混みあった電車内では人のスマホの画面が意外と覗ける。ゲームをしてたり、動画を観てたり、漫画を読んでいたり、そんな人が多く見える。人を見ているつもりが自分もその一部で、それが変わらぬ日常というものを構成してくれている。 そんな日々に飽きた時にふと今の自分から変わりたいと思う。体を鍛えたり、勉強したり、誰かに会いに出掛けたり。けど、そんな修練を積んでもあんまり変わった気がしない。いや、実際は筋肉がつき、知識を得て、人の多様性を知って確かに成長したのだし、周りからもそう言われるかも

    • クゥイド・プロ・クゥオ

      昔本屋でバイトしていた時、お客さんが一冊の学習参考書を手に取って、「こういう本がたくさん並んでるとさ、俺の学生時代ってなんなんだって思うよな」と言った。その手中には、「中学三年間を〇〇時間で完璧マスター」という(ような)タイトルがでかでかと書かれていた。 こういうタイトルの本は今でもよくよく見かける。それらの本には「時短」というキーワードがある。情報が氾濫する現代社会では、人一人の時間の価値は高まり、自分にとって有益となる情報を効率よく摂取しなければならない。間違いを犯してい

      • Qu'est-ce que c'est?

        どういう理由かなんてなかったはずだ。 一緒にドライブをして音楽をかけて「この曲いいよね」と私が尋ねた時、「いいっすねぇ」とか「めちゃくちゃ最高」という友達の思い思いの感想が返ってきた時最高な気分になる。ハンドルを握る手につい力が入り、はにかんだような笑顔になってしまう。 長く短い人生で偶然の出会いで近しくなってもう会えなくなってしまった人たちとも、ほんの一瞬だけでも何かが通じ合えるということは、本当に奇跡のようなことだと思う。 そんな思い出があったということが、涙が出てくるく

        • 寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか

          以前どこかで聞いた情報で詳細は怪しいけれど、他国の人に比べて日本人が最も他者への寛容がない国民性があるという。そう指摘されると、確かにそのように感じる。例えば他人のミスに関しては必要以上に叱責するし、自分の主張や信条と合わない他人への攻撃は限度を知らない。私も実生活で、はたまた、ネット上でそのような場面をよく見かける気がする。 他者への寛容心を育むにはどうすればいいのか。真っ当な正解というものを私は知らないので、私なりのひどく消極的な考えを言うと、他者に期待しないということ

          今話題の○○などまるで知らない。ベストセラーのものなど大抵持ってはいない。それでもそれらが世の中で抜かりなく流行しているのであれば、なおさら、自分はそこに加担しなくても問題などないのだと思う。だから、自分が心底良いと思うものだけを愚直に愛す、それが世の中で流行っている必要はない。

          今話題の○○などまるで知らない。ベストセラーのものなど大抵持ってはいない。それでもそれらが世の中で抜かりなく流行しているのであれば、なおさら、自分はそこに加担しなくても問題などないのだと思う。だから、自分が心底良いと思うものだけを愚直に愛す、それが世の中で流行っている必要はない。

          魔法にかかった男

          SNS上には好意や支持を意味する「いいね!」ボタンが設置されている。Twitterやこのnoteにも「いいね!」、「スキ」を示すハート型のボタンが用意されていて、私はこのボタンをたまに「ハート」と呼んでしまう。「あっ、ハートついている」って具合に、「いいね!」とか「スキ」という通称ではなく、見たまんまを口にしてしまう。 それは単に私がSNSを始めたのが遅く、「いいね!」という語句が自分自身に馴染みないから、咄嗟に言葉が出てこない。すでに十年近くこの手のサービスを使いこなしてい

          魔法にかかった男

          現実と名付けてみた妄想

          今から十年以上も前で私が学生だった頃、私の友達はバンプ好きが多かった。BUMP OF CHICKENと正式名で言わなくても、今でも人気のあるバンドなので、バンプで伝わると思っているが、当時の私は友達の影響もあってか次第にバンプにはまっていた。 個人的に一番好きな曲が、アルバム『ユグドラシル』に収録されている「レム」という曲で、ボーカルの藤原基央さんが一人で弾き語りする曲なので、バンプらしさはないのかもしれないが、当時からこの曲は好きで、なんでこうも心をグサグサと抉る、いい意味

          現実と名付けてみた妄想

          君の中で消えた炎とか

          CMを観ていて鼻につくのが、自社のPRをわざとらしい演技で役者にペラペラと喋らせる事で、特に子供に大人の真似事をさせて、資金運用とか、年金問題とか、その年代の少年少女が絶対に考えようがない大人の関心事を子供に語らせているのは、観ているだけで嫌な気分になる。(それがコマーシャルというものだと言われれば何の反論も出来ないが。) 別に演じている役者に適切な報酬を支払っていて、役者本人もそれを了解して引き受けているはずなので、私がどうこう言う筋合いでもないけれど、他者にとある主張や

          君の中で消えた炎とか

          ときめきに死す

          無駄な時間を愛している。 無職やプータローとかニートとかなんでもいいけれど、社会と距離を取っていた孤独な時間は有意義な時間だと思っている。しかし、無職に対して世間の風当たりは冷たい。また、そればかりか、無職期間など、何のキャリア形成も出来ていないとか、何の価値も無いとか、何も積み上げていない無駄な時間だと切って捨ててしまう人も多い。ただ、それらの考えは現在の社会で上手く生き抜くだけの考え方でしかないと思う。勝手に人の生き方に意味だとか、意義だとかを一方的に決めつける輩は信用

          ときめきに死す

          balance

          形が悪かったり、歪だったり、不安定な場所の上にモノは置けない。何かモノを積む、重ねる、載せるという時に、土台がしっかりしているということはかかせない条件で、家を建てるときもまずは地盤調査をし、下地となる基礎部分に鉄筋を組み立てて、型枠を設置し、コンクリートを打設していく。この基礎工事が疎かであると、当然上物の建物が何十年も持つわけはなく、どっしりとした構えで戸建てやビルが変わらず存在しているのは、何よりも土台がしっかりしているからだ。普段歩いている地面も安定しているから軽快に

          怠惰抱いた

          今日も疲れたよ。明日も疲れるよ。そんな予定だよ。一日中働いて疲れるとそれなりに充実感があって、自分にとことんと甘くなってしまうよ。今日は頑張ったからもういいじゃないって思ってしまうよ。それじゃダメなんだよ。わかってるんだよ。けど、怠けてしまうんだよ。しょうがないよ。しょうがなくないよ頑張れよ、と思っているけど身体が動かないよ。今頑張ったって確実に将来が明るくなるかわかったもんじゃないよ。そんな根性だから今を頑張れないんだよ。ダメな奴だよ。困ったもんだよ。今日も何かをした気にな

          怠惰抱いた

          愛は惜しみなく奪う

          有島武郎の「愛」に関する思想が綴られた著書に『惜しみなく愛は奪う』がある。トルストイは「愛は惜しみなく与える」といったが、有島武郎は「愛の本質は奪うもの」であると主張する。作中でもカナリヤの例を出して、著者がカナリヤに美しい籠と新鮮な餌と時に愛撫をしてやる光景は、一見「愛を与えている」ように見える。しかしそれは外見上だけのことで「愛したい」という自分自身の欲求を満たすだけの「奪う行為」だと定義している。要は、愛が結局は「自己愛」に帰結しているということを著者は述べていて、私も

          愛は惜しみなく奪う

          涙は俺のもの

          男のメンヘラは救われないという事はよく言われる。まず、男は社会的に自分がメンヘラだと告白できないだろう。基本的に男が精神的な弱点を告白することはプライドが邪魔して相当な抵抗を覚えるし、そもそも、男が弱音を吐いても誰からも庇護されないし、誰からも構ってもらえないと自覚的で、そんな世間の風潮を分かり過ぎるくらい分かっているからそんな気持ちを内側に隠し、無理にでも強靭な男性性を演じてしまうのだと思う。対して、女性は自分の弱点を告白したとしても男女関わらず庇護されるし、そんな弱いまま

          涙は俺のもの

          田んぼの田を一筆書きする方法

          小学生の頃、タイトル通りの難題に取り組んでいたことがある。なぜだかどうしてもどうしても田んぼの「田」を一筆書きしたく、当時の私は紙の上に延々と田の字を書き込み、解を見つけるためにひたすら考え込んでいた。暇だったのかもしれない。けど、大人になった今から振り返れば「ケーニヒスベルクの橋問題」に真っ向から向き合っていたという、ちょっと、誇らしい出来事だったと思ったりする。 調べれば簡単にわかることなので書いておくと、正攻法で挑むと田んぼの「田」の一筆書きは不可能である。けど、ある

          田んぼの田を一筆書きする方法

          それで救われる気持ち

          本当に単純だと思うけれど、例えば月曜日の朝の憂鬱な出勤時に木枯らしの中紅葉した楓の並木道を歩いていると木々や落ち葉の綺麗さに感動したりする。辛い事があって落胆しながら夜道をトボトボ歩いていても夜空に月が見えただけで少し前向きな気持ちになれる。陳腐な表現だけど自然が美しくって良かった。もうすぐ雪が降るだろう。厳しく荒涼とした景色が一面に広がるだろう。それでも自然が美しいのなら長い冬も越せる。

          それで救われる気持ち

          こんなに暑いのに待受画面が冬のままだと今更気付いた

          こんなに暑いのに待受画面が冬のままだと今更気付いた