ガラスの動物園
「性格が悪い」と称される人がいる。はっきり言ってそれは主観だから、一概にどんな性格とか誰とか、特定の人を指せないが、なんとなく、その言葉に該当する人の傾向があるような気がする。
例えば、相手に注意を促す時に、それをそのままはっきり告げればいいのだけれど、どこか回りくどく、婉曲的に伝えようとする人がいる。しかも、その言い草が、個人的な指摘であるにも関わらず、そういう言い草をせずに、まるで私の意見は民衆の総意ですと言わんばかりに、大衆を味方につけた注意の仕方をする人がいる。そういう他人の気に食わない箇所を指摘する際に、注意している人物は、他でもない自分自身であるにも関わらず、非難の的を自分からずらすセコさや、相手に恥や罪悪感の感情を植え付けさせる方法を取って、他人の感情をコントロールする人達が、所謂「性格の悪い」と称される人ではないかと思った。
結局、相手に注意をするのであれば、奇をてらわずストレートに告げるのが最善策で、確か子育てでも、勉強しなさいと、相手の行動をコントロールする子育ての場合は問題ないが、勉強しないとせっかくの高い学費が無駄になってしまうわね、というような相手の罪悪感を利用して、子供の心理をコントロールしようとする親に育てられた子供は、コミュニケーションの距離感がつかめない子供に育つという結果を何かの本で読んだこともある。
下手な言い訳や保身に走らずに、個人的な意見を思いのまま正直に述べ、それに伴う責任を一身に引き受けられる人の潔さは素晴らしい。と、思うが、大人になるとそれがなかなか難しい。けれども、そこの部分を誤魔化す人は、どうしても狡い人だなと私は思ってしまう。