ラジオとわたし【1】「欽ドンとの出会い〜祖父からトランジスタラジオをもらう」
★この記事は、フリーペーパー「浪漫社通信」のために書いた記事をネットで読み直せるように載せたものです。
第1回
「欽ドンとの出会い 〜 祖父からトランジスタラジオをもらう」
あれは昭和四十八年、小学四年生の一学期の終わり頃、クラスの一部の子達の間で「欽ドンというすごく面白いラジオ番組があるらしい!」と噂になっていました。兄や姉のいる子がいち早く聴いてクラスで広めていたのです。
欽ドンが聴いてみたい!…私は祖父がいつもナイター中継や競馬中継や株式市場を聴いているトランジスタラジオを貸してもらえないか頼んでみました。すると祖父はすぐに、自分が使っていたラジオを私にくれたのです♪(いくつか持っていたらしいです)
初めてチューニングするトランジスタラジオ。テレビと違って、自分でよく聴こえるように合わせなければなりませんが、それがとても新鮮でした。
「欽ドン」は「ニッポン放送」というラジオ局で、月曜から金曜まで毎日夜の9時40分からの10分くらいの番組でした。
決まったテーマに沿ってリスナーから送られてきたハガキを欽ちゃんが読み上げ、面白いものは「欽ドン賞」がもらえます。欽ちゃんがやっている番組なので、ギャグもほのぼの系で番組の提供は集英社でした。「りぼん」や「少年ジャンプ」などのCMがあり、その後すぐに私は「りぼん」を毎月読むようになりました。
学校で噂になるだけのことはあり視聴者のハガキも読み上げる欽ちゃんも最高に面白く、私は欽ドンを毎日欠かさず聴くようになりました。この番組を聴き始めたのを機に、欽ドンを含む「大入りダイヤルまだ宵の口」を全部聴くようになり、この時から私とラジオの長い付き合いが始まったのです。
「大入りダイヤルまだ宵の口」は21時前後から0時までの番組で、10分〜20分くらいの短い番組やコーナーによって構成されていて、パーソナリティーは高嶋秀武(のちにヒゲタケと名乗るようになった)さんで途中からは、くり万太郎さんになりました。いずれもニッポン放送の人気アナウンサーでした。
この番組が0時までだったため、それまでと比べて私の寝る時間は大幅に遅くなり、この後今に至るまで夜更かし大好きな生活が続くこととなります。
次回「みのもんたの衝撃」をお楽しみに!(笑)
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