みづき@浪漫社

50年代から80年代の音楽と文化、芸術などを語るBAR『浪漫社』のママでしたが、202…

みづき@浪漫社

50年代から80年代の音楽と文化、芸術などを語るBAR『浪漫社』のママでしたが、2022年の年末に店は閉めました〜。 ★記事内でAmazonアソシエイトを使用している場合があります。

マガジン

  • 『浪漫社』のウクレレ関連ポスト

    • 3本

    2019年8月から『ウクレレみんなで独学』という定例イベントを開催してきました。とあるお客様のふとしたつぶやきがきっかけだったのですが、以来、ママもマスターもウクレレにどハマリして、同イベントに参加されているお客様に紹介した同じウクレレは12台にのぼります(笑)。このマガジンは、ママとマスターそれぞれのウクレレ関連のポストをまとめたものです。

最近の記事

「この曲にツッコミ!」【3】三人の男女が織りなす人間模様を歌った曲たち

今回は男二人と女一人、そして三人の男女が織りなす人間模様を歌った2曲を取り上げます。 河合奈保子「けんかをやめて」 作詞・作曲 竹内まりや 1982年9月1日発売 石野真子 「春・ラ!ラ!ラ!」 作詞 伊藤アキラ、作曲 森田公一 1980年1月1日発売 竹内まりや作詞、作曲「けんかをやめて」は、ちょっとした遊び心から二人の男の子を傷つけてしまった女の子の切ない気持ち(でも自分勝手)が表現されている歌です。当時河合奈保子に対して良い感情を持っていなかった私(笑)は、「モ

    • 「この曲にツッコミ!」【2】「町で噂の女、多過ぎ問題」

      今回は以前から気になっていた「町で噂の女、多過ぎ問題」について。 70年代〜80年代前半くらいの歌謡曲、シティーポップにはよく「町中の男が注目する女」というのが登場しまして…(笑) 今回はそんな女について歌った歌を聴き比べます。どちらも有名な曲なので皆さんご存知かと思います! 南佳孝「モンロー・ウォーク」 作詞 来生えつこ 作曲 南佳孝 1979年4月21日発売 ラッツ&スター「め組のひと」 作詞 麻生麗二(売野雅勇) 作曲 井上大輔 1983年4月1日発売 ま

      • あさがや今昔物語【5】「お伊勢の森」

        ★この記事は、フリーペーパー「浪漫社通信」のために書いた記事をネットで読み直せるように載せたものです。 【あさがや今昔物語】【5】 「お伊勢の森」 阿佐ヶ谷駅の北側にある神明宮は以前は「天祖神社」という名前でした。 (私も含め、昔から住んでる人は今でも「天祖神社」と言ってしまうこと、ありますよね!笑) この天祖神社は私が子どもの頃から頻繁に訪れお参りしたり遊んだり、駅まで歩く時は必ず神社横の道を通り、毎年のお祭りも楽しみにしていた生活に密着した神社です。 それだけでなく、

        • ラジオとわたし【1】「欽ドンとの出会い〜祖父からトランジスタラジオをもらう」

          ★この記事は、フリーペーパー「浪漫社通信」のために書いた記事をネットで読み直せるように載せたものです。 第1回 「欽ドンとの出会い 〜 祖父からトランジスタラジオをもらう」 あれは昭和四十八年、小学四年生の一学期の終わり頃、クラスの一部の子達の間で「欽ドンというすごく面白いラジオ番組があるらしい!」と噂になっていました。兄や姉のいる子がいち早く聴いてクラスで広めていたのです。 欽ドンが聴いてみたい!…私は祖父がいつもナイター中継や競馬中継や株式市場を聴いているトランジスタ

        「この曲にツッコミ!」【3】三人の男女が織りなす人間模様を歌った曲たち

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          あさがや今昔物語【4】「阿佐ヶ谷の宝 好味屋」

          ★この記事は、フリーペーパー「浪漫社通信」のために書いた記事をネットで読み直せるように載せたものです。 【あさがや今昔物語】【4】 「阿佐ヶ谷の宝 好味屋」 今回は、連載第二回でダイヤ街の二階に昔あった店舗について少し触れた「好味屋」(こうみや)について書きます! これはもう本当に個人的に好きだったお店の話なので、あまり面白い話ではないかと思いますが、どうかお付き合いください。 好味屋は私が物心ついた頃には阿佐ヶ谷周辺に何店舗かあり、地元の人達の生活に密着した気軽に利用

          あさがや今昔物語【4】「阿佐ヶ谷の宝 好味屋」

          「この曲にツッコミ!」【1】「まちぶせ」

          ★この記事は、フリーペーパー「浪漫社通信」のために書いた記事をネットで読み直せるように載せたものです。 不定期連載 「雪乃みづきのこの曲にツッコミ!」 第一回 「まちぶせ」 作詞・作曲 荒井由実 編曲 松任谷正隆 この楽曲は石川ひとみ版が有名ですが、もともとは荒井由実が1976年に三木聖子に提供したものです。1981年に石川ひとみがカバーして、彼女の最大のヒット曲となりました。 今回は三木聖子、石川ひとみ、そして作詞・作曲をしたユーミン本人の歌唱を聴き比べてみ

          「この曲にツッコミ!」【1】「まちぶせ」

          あさがや今昔物語【3】「◯◯街よ永遠に」②

          ★この記事は、フリーペーパー「浪漫社通信」のために書いた記事をネットで読み直せるように載せたものです。 【あさがや今昔物語】【3】 「◯◯街よ永遠に」② 前回「◯◯街よ永遠に」というタイトルの文章を書いたら、第2号発行の翌日にいきなり「永遠ではない」という現実を叩きつけられてしまいました。 ゴールド街跡地に作っている建物が「ビーンズ阿佐ヶ谷」という商業施設になることがわかったのです。 ビーンズとは…!?何故にビーンズ…?ア◯レやセ◯オにはなりませんでしたが、予想を上回る

          あさがや今昔物語【3】「◯◯街よ永遠に」②

          あさがや今昔物語【2】「◯◯街よ永遠に」①

          ★この記事は、フリーペーパー「浪漫社通信」のために書いた記事をネットで読み直せるように載せたものです。 【あさがや今昔物語】【2】 第2話「◯◯街よ、永遠に」 今回は、私が物心ついた頃には既に阿佐ヶ谷駅の高架下にあったダイヤ街とゴールド街のお話です。商業施設に名前をつける時、最近は有楽町の「イトシア」渋谷の「ヒカリエ」吉祥寺の「キラリナ」など、日本語の音の響きを大切にして命名するのが流行っているようですが、おそらくダイヤ街とゴールド街ができた頃の最先端が「◯◯街」だったの

          あさがや今昔物語【2】「◯◯街よ永遠に」①

          あさがや今昔物語【1】「中杉通り」

          ★この記事は、フリーペーパー「浪漫社通信」のために書いた記事をネットで読み直せるように載せたものです。 【あさがや今昔物語】【1】 阿佐ヶ谷で生まれ育ったママが阿佐ヶ谷にまつわる雑談を書いていこうと思います。 第一回は、中杉通りについてです。私が子供の頃、バスが通っていたのは今の「旧中杉通り」(正確には松山通りですが、どうしても旧中杉通りと言ってしまう…)でした。駅の北側の広い中杉通りは今のカナモノワタナベさんの辺りまでしかなく、そこから先は住宅地でした。小学校高学年の

          あさがや今昔物語【1】「中杉通り」

          国分寺をお散歩

          国分寺をお散歩