あさがや今昔物語【2】「◯◯街よ永遠に」①

★この記事は、フリーペーパー「浪漫社通信」のために書いた記事をネットで読み直せるように載せたものです。

【あさがや今昔物語】【2】
第2話「◯◯街よ、永遠に」

今回は、私が物心ついた頃には既に阿佐ヶ谷駅の高架下にあったダイヤ街とゴールド街のお話です。商業施設に名前をつける時、最近は有楽町の「イトシア」渋谷の「ヒカリエ」吉祥寺の「キラリナ」など、日本語の音の響きを大切にして命名するのが流行っているようですが、おそらくダイヤ街とゴールド街ができた頃の最先端が「◯◯街」だったのでしょう。阿佐ヶ谷以外だと、自由が丘には「ひかり街」という狭〜い通路を挟んで魚屋とブティックが向かい合っていたりする素晴らしい施設があります。

ゴールド街が取り壊されたのはショックでした。一階の靴屋さん、レコード屋さん、鞄屋さんにはよくお世話になりました。そしてかわいい雑貨を売っていたエスカレーターの裏側にあった雑貨屋さんにはサンリオの小物を買うために通いまくりましたよ。ゴールド街は奥の方のシブい飲食店の顔ぶれといい、二階部分のあまりやる気を感じない雰囲気といい、子供心にもマイナーな気配を感じていました(そこが良かった)。
それに対してダイヤ街は子供が楽しめる施設が充実していました。二階にあった卓球コーナーとアナログなゲームばかりのゲームコーナーは休日によく両親や従兄弟たちと遊びました。好味屋(阿佐ヶ谷周辺に何軒かあったパン屋)のソフトクリーム屋があり、大好きなモカソフトクリームを必ず食べました♪
現在、ゴールド街の跡地に何か作っているようですが、建物は新しくてもぜひまた「ゴールド街」と名付けてもらいたいです。「ニュー・ゴールド街」でもいいです(ニュー◯◯というのも昭和っぽくて好き)。
どうかア◯レとかセ◯オとかになりませんように!(笑)阿佐ヶ谷には似合いませんからね。

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