あさがや今昔物語【1】「中杉通り」
★この記事は、フリーペーパー「浪漫社通信」のために書いた記事をネットで読み直せるように載せたものです。
【あさがや今昔物語】【1】
阿佐ヶ谷で生まれ育ったママが阿佐ヶ谷にまつわる雑談を書いていこうと思います。
第一回は、中杉通りについてです。私が子供の頃、バスが通っていたのは今の「旧中杉通り」(正確には松山通りですが、どうしても旧中杉通りと言ってしまう…)でした。駅の北側の広い中杉通りは今のカナモノワタナベさんの辺りまでしかなく、そこから先は住宅地でした。小学校高学年の頃に少しずつ住宅がなくなり、道路ができていきました。それでもまだ早稲田通りまでは開通していなかったので車が入れないようになっていて、しばらくの間、世尊院の辺りから緩やかに下っていくあの坂は格好のスケボーの練習場になっていて、いつも誰かしら練習していました。
今思うと、あの狭い旧中杉通りによくバスが走っていたものです。バスが来て怖かったことを何となく覚えています。
新しくできた広い中杉通りは並木が美しく、徐々に喫茶店やブティックなどお店が増えていき、子供心にもわくわくしたものです。
(つづく)
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