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1年ぶりに寝込んで仕事を休んだ

はじめに

・1/17 なんとも無し
・1/18 喉の違和感と花粉症のような症状。ヤバいと思って速攻で寝た。
・1/19深夜〜未明まで悪寒戦慄で眠れず。昼出勤の休みの電話をする。
・1/19〜1/22まで4日間寝込むが生還する。最高体温38.7℃(多分)。
久々の感染症での寝込んだ記憶を書いておこうと思う。

《一言まとめ》メメント・モリ

1:多分黄砂からの感染

上記の経過でいきなり熱を出して1年ぶりに仕事を1日休んだ。
去年までの欠勤は他者の休みの穴埋めで激務となり、自律神経失調からの不整脈と頻脈で倒れたからだ。
感染症での休みはいつぶりだったろうか?少なくともインフルとコロナでは休んだことがない。
今回は発熱の前日に花粉症の症状が出ていたところからの、副鼻腔炎のような症状だった。咽頭違和感と激烈な鼻炎からの悪寒戦慄で発熱し、膿汁のような鼻汁に溺れた。熱と言っても身体はほぼ微熱程度で、頭だけが熱い!そういう発熱だった。
免疫力をいくら上げても不可抗力で熱を出す「黄砂」の時期にある症状だった。PM2.5とか関わっていそう。
いつもGWあたりでの発症だったので、こんな1月にあるのは初めてだった。本当にこればっかりは予防のしようがない唯一の天敵だ。

2:切腹or欠勤

欠勤した日は遅出業務で、12時〜22:30の仕事だった。休もうと決意したのは早朝だった。「絶対無理」レベルでしんどかった。この時点での熱は37.5℃だった。それでもだ。
「仕事を休むくらいなら腹を切って詫びる」くらいの価値観で生きている昭和の看護師として、やはり断腸の思いだった(誤用)。
休みの電話の後、丸2日布団から出た記憶がない。水は飲んでいた。トイレも行っていたらしい。悪寒がひどくてそれどころじゃなかった。熱が上がり切ってから熱を測ろうと思っていたけど、いつまでも悪寒が収まらず&しかし頭だけは燃えるように熱い状態で、何が何やら。ただ、疼痛はどこにも無かった。
その間に鼻をかんだテッシュが山積みとなり、くしゃみを連発した。
欠勤日以降は三連休だったので、ひたすら療養に専念した。
何を食べたっけ。枝豆で命を繋いだ記憶がある。水分は麦茶。命の水だった。
欠勤した日の夜に最高体温(口腔内)38.7℃を記録し、やっぱり休んで正解だった。
2日目は37.5℃に下がり、以降は上記同関連の症状だけが残ったので、その回復に努めた。そして生き残った。

3:死んでいてもおかしくなかった

細心の注意を払って感染予防に努めてきた。それは自信がある。だから今回の異変もインフルやコロナとは思わなかった。
鼻汁が膿状だったので細菌感染由来とは思った。
最初に欠勤を連絡した時(日曜日)、週明けにでも受診して検査を……とか言われたけど従わなかった。そんな体力があるなら休んでいない。
検査結果もらうための時間と体力よりも、自宅でひたすら休んだ。熱も上げっぱなしにした。この熱が細菌を殺してくれる。くしゃみもしまくった。バイバイキーン!
でも高熱の続く時間は恐怖だった。免疫力が負けたら肺にまで到達し、肺炎になったら一気に死のリスクが高まる。
これは一人で生きていくと決めた人間のリスクだ。誰も頼れない。
抗生剤を飲めばいいんだろうけど、先に買っておいて準備できないからなあ。
解熱したら回復が遅くなるし。
今回は最短で回復したけれど、この先60歳代、70歳代、80歳代になってこの症状が出たらきっと負けると思う。
肺炎併発からの脱水、多臓器不全、敗血症、からの孤独死は目に見える。

4:生活改善していたのになあ(n回目)

実はそろそろヤバいかな、と思っていた矢先だった。
何故なら私はいつも「生活改善!」と仕切り直すと、絶対に何らかのアクシデントがあって水を差されるパターン、からの、どうでもいいやと投げ出す。を繰り返している。
「そろそろかな?でもまさかね」と思ってたら本当に欠勤レベルで体調を崩した。お約束が過ぎる。
頑張ってるのにこれはないじゃん!あんまりじゃん!と、心が絶賛グレまくり中。

5:とりあえず仕切り直し

1/18に違和感を生じ、その夜に悪寒戦慄からの発熱、1/19欠勤して療養に専念して現在1/26にやっと症状が消えた。ひたすら体を休ませていた。回復まで9日間かかるのか!
生活改善が無駄とは思っていない。
最新の注意で底上げしていた免疫力が、全力で熱を上げて細菌を殺してくれていたのはわかったから。ありがとう、私の体の働く細胞たち。
だからこれからどうするか?を仕切り直さねばならない。

6:黄砂は来ていたらしい

花粉や黄砂などの情報を調べたら、実はかなり来ていたらしい。避けようがない。
こういう場合はもう天災と思って諦めて休むしかない。
休み続けて少なくとも3日は絶対休まないと治らない、と思う。
今後同症状があったら、切腹はしないでとにかく3日間は休む事にする(絶対)。
うまく連休とかち合ってくれたらと思うが無理だったら休む。そのための嘱託だ。
絶対無理をしない。無理をしたらそのまま死ぬ可能性があると考えねば。

7:私の命を救ってくれた相棒たち

一人暮らしゆえに受診はできなかった。自然回復を待つしかない野生の動物だった。
それでもその危機的状況を救ってくれたのは、今までの自分だった。

・麦茶パックの買い置き2リットルでの作り置き
・電気毛布購入
・冷凍枝豆の買い置き
・ネギと卵と豆腐、冷凍ご飯常備
・みかん買い置き
・常日頃の掃除洗濯
・ティッシュとトイレットペーパーの常備

あれだけしんどいと買い物や家事掃除不可だった。お風呂もずっと入れないし入ってはいけない。
あのしんどさと切羽詰まった状態で、部屋が汚かったりゴミ出しできていなかったりしてたら、なおさら心が挫けていたと思う。
水分はひたすら麦茶を飲んでいた。お得用の水出し麦茶パックを買っておいてくれてありがとう。リットル単位で作りおいてくれてありがとう。
食欲ゼロだったけど、しんどくても食べられそうなものを買ってあったのは明暗を分けた。おじや最強説。
ペーパー類が無くなってたら詰んでいた。残1個で耐え切った。
何より電気毛布(60×90cmミニサイズ)を買っておいて大正解だった。足元に敷いてアンカ代わりになってくれて、悪寒戦慄の数日を乗り切れた。
本当に生き延びれた。
いつか来るかもしれない大地震よりも、年に1回くらいありそうな寝込む数日が怖い。そのための常備は欠かさないようにしようと決意した。

まとめ

本当にもうちょっと免疫力が追いつかなくて肺炎になっていたら死んでいた。身寄りのない一人暮らしが体を壊すとはそういうことだ。
「あ、花粉来た?」→「メメントモリ」
このタイムラグの無さは非情。老化とはそういうことかと思案。
私にとって彼岸とは、三途の川の岸辺で船を待つ感じではなく、いきなり日常から崖に突き落とされるイメージになった。足元に留意して、老後を暮らそうと思う。

そうだ、もう老後なんだよ。好きなことして暮らせばいいんだよ(開き直り)。

おまけ

植物園の椿。まだこれしか咲いてなかった。
植物園も咲いている花は少なかったけど梅と椿楽しみにしてるよ

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