「難民」と呼ばれる人たちのストーリー
初めて漫画家のはすみとしこ氏が出版した「そうだ難民しよう!」の表紙を見たとき、私は怒り心頭した。いやいや冷静になれ、と自分に言い聞かせて、どんな背景があるのかなと思って彼女の主張も読んだ。
以下はすみ氏が出版意図をFacebook上で説明した内容。
「このイラストは全ての難民を否定するものではありません。本当に救われるべき難民に紛れてやってくる偽装難民を揶揄したものです。例えばドイツでは、難民には月間約17万円が支給されます。これは、パートで働くより良い収入です。日本にもドイツにも、これを初めから目当てにしてやってくる「移民」や「難民」がおり、さらに人権派弁護士が裏について、あらゆる権利を行使できるように口添えしてる実態があります。本当の難民は保護すべきですが、シリアで働くよりも月額17万円の保護を受ける方が良いと思い、自分の国を自力で再建するのでは無く、難民と称して移民するのは問題があると思います。真面目に働いて、税金を納めている方々の税金が、その自称難民達に対する援助には使われるべきでは無いと思います。私は、難民であるのか無いのかをきっちり調べ、本当の難民であれば人道的に助けるべきだと思っていますが、一部(報道では3割)の偽難民がそれを権利と思いやってくる事に問題を感じ、問題提起として、偽難民について皆さんが考えるきっかけをつくりたかったのです。」¹
これを読んだときの感想→「うわー出た現実感ゼロのイデオロギー!!」
私自身もイデオロギーに偏りがちな人間だけど、はすみ氏の主張は「机上の理論」以外の何物でもない。で、何が欠けてるかって?心だよ、エモーション。想像力。エンパシー!
「難民」というものがあるのではなく、ひとりひとりの生身の人間なんだってことが完全にぶっ飛んでる。
そこで、これをはすみ氏が読むことはないだろうけど、生身の人間である「難民」2人の実際のストーリーを、私がドイツで3年間弱ソーシャルワーカーとして働いていた経験からお届けしたい。
難民が押し寄せた時のドイツ
まずは、ドイツに難民が大量に押し寄せた時期の日常の様子から始める。
Photo by Mika Baumeister on Unsplash
私と同僚は元々ドイツ人、ポーランド人、トルコ人などのクライアントを担当していた。ドイツが大量の難民を受け入れたあたりから、徐々にシリア、アフガニスタン、エリトリアなどの出身者が増えていった。
当時はドイツ国内でも「偽装難民」に対する抗議が上がり、特にザクセン州を中心に抗議デモが起こった。そして、難民受け入れ反対の人々は右翼党のAfD「ドイツのための選択肢」を支持し、この政党も急速に支持率を上げていった。
日常生活の中でも、難民受け入れ賛成派、反対派といったように意見が分かれているのを感じた。事実、私自身、それまでアフリカや中東出身の人達とほとんど接点のなかった日本人として、そして、大学生活と仕事との合間で自分ではめっちゃ苦しい人生を送ってると勘違いしていた人間として「本当に全員援助が必要な難民なのか?」という疑念が浮かんだこともあった。
その幼稚で世間知らず、いや「世界」知らずな私の考えを2人のクライアントとの出会いが変えた。そして、私は自分の愚かさと傲慢さ、エンパシーと想像力の足らなさを学んだ。
「難民」と呼ばれる人達の本当のストーリー
1人目のクライアントはソマリア出身の19歳の若者だった。彼は数か月前にドイツに到着し、難民が一時的に滞在する施設で過ごした後、私たちが用意したアパートに入居した。ある日、ソマリア人の彼と日本でいう職安へ赴く道中、彼のこれまでの人生の話を聞いた。
ソマリアの内戦で彼の両親と3人の兄妹は、彼の目の前で殺された。その場を生き延びた彼はその足でドイツに向かった。1年かけて。睡眠は野宿。食べ物は、道中で見つけたものを闇市で売り、微々たる小銭を集め、食いしのいだ。
Photo by Jon Tyson on Unsplash
後から知ったことだが、彼はドイツに到着した後も心的外傷後ストレス障害²のため、毎日のように悪夢を見て眠れず、かなり強い睡眠剤なしでは眠りにつくこともできなかった。
こんな経歴を持つソマリア出身の彼ですら、ドイツでの滞在許可は一時的なもので、半年以内に仕事先を見つけないと、滞在許可が抹消になるステータスだった。これはつまり、多くの人が信じたがるような政府が誰でもかんでも安易に迎え入れているという事実と反する。
ドイツに「難民」として来た男性の20年後
もう一人のクライアントは20年前にアフガニスタンから難民としてきた50歳の男性だった。彼は重度の統合失調症を発症していて、陽性症状(彼の場合は幻覚)のため、通常の人間なら30分で着く距離も5時間かけてやってこなければならない程だった。なぜなら、彼は常に誰かに後をつけられているという幻覚のため、その追跡者たちを巻くために相当の時間を要したからだ。
彼のストーリーは想像を絶するものだった。彼はアフガニスタンの軍隊に属していた。そこでは激しい暴力、男性間の性的虐待、拷問などが日常茶飯事だった。あまりの苦しさにある日の夜、彼は脱走を試みた。それを見つけた監視官が彼を後ろから銃で撃った。一つの銃弾は彼の肩を通貫し、もう一弾は彼の左耳を吹っ飛ばした。そんな状態でも彼は夜の砂漠を延々と走り続けて、隣町で助けを求めた。その後彼がどうやってドイツまで来たかを知ることは結局できなかった。私が聞いた時「それは話せない、あまりにも辛いから」と彼は言った。私はそれ以来何も聞かないことにした。
彼のアパートを訪れた時のことを未だに覚えている。部屋の床一面は切り抜かれた新聞記事で埋め尽くされていた。私は新聞の隙間をつま先ですり抜けながら部屋の中心の椅子に座った。「この切り抜きは何?」と聞いた。「アフガニスタン政府の秘密工作員が自分の居場所をかぎつけていないかチェックしているんだ」と彼は答えた。その時に、彼がドイツに来て20年経った今だって、恐怖という牢屋に捕らわれた毎日を過ごしているんだとつくづく知った。そして、20年もの時間ですら癒やすことのできない彼の心の傷の深さを。
Photo by Larm Rmah on Unsplash
これが生身の人間のストーリーだ。イデオロギーにはない血と汗の生臭さを感じてもらえただろうか。
私たちが絶対に忘れてはいけないこと
私は心理学を生業にしている人間として、はすみ氏やその支持者を一方的に批判するほどナイーブではいたくないと思ってる。そういう意味で、私がたったの3年間ソーシャルワーカーして難民と関わったってことだって、何にもわかってないって意味じゃ、はすみ氏と大して違いはないと思ってる。
つまり、何が言いたいかというと、
私たちが先進国でぬくぬく生きながらイデオロギーをかざしているとき、実際は何もわかっちゃいないんだってこと
それがたとえ「正規の難民」と「偽装難民」ってことに焦点をあてた政治論だとしても。
もし「偽装難民」に対する抗議をしたいなら、学術的なデータを使って引用先も明記して論文書けばいい。でも漫画はまずい。その読みやすさを使って情報に疎い(子供を含めた)多くの人に正確でない情報を拡散できるっていう隠れた意図もほんとうにいただけない。
わたしもここNoteで精神論とイデオロギーを書きまくってる身だ。だからこそ、自分への戒めという意味もこめて、もう一度書きたい。
声をあげることは大事。でも、自分が小さな世界以外のことなんてなんもわかっちゃいないってことを忘れちゃいけない。一人ひとり生身の人間のストーリーがあるってことを。
はすみ氏がモチーフに使った写真の少女にも。
難民を間接的にサポートしたい方はUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のホームページから。
長く暑苦しい文章を読んでくださってありがとうございます。生身の人間のストーリーが一人でも多くの人に届くようシェアしていただけると嬉しいです。
引用および注釈
1: https://www.huffingtonpost.jp/2015/10/07/refugee-racism_n_8260694.html
2: 生命の危険を伴うか、それに匹敵するような強い恐怖をもたらす体験の記憶が心的トラウマとなり、それによって生じるトラウマ反応の一つのことhttps://www.ncnp.go.jp/nimh/pdf/saigai_guideline.pdf
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