私が差別に対してずっと思ってる疑問
私が差別する人に投げたい疑問
例えば「韓国人は」とか「中国人は」とかって差別している人がいるとする。
世代によっては、戦争の歴史とか、戦後に生まれ育った中でのトラウマとかが関係している可能性が高いから、一部の人はしょうがないかなとも思う。
かつ臨床心理学のトラウマ研究の実績から、トラウマはその受けた人物ひとりでは完結せず、世代3代を超えて引き継がれれることがわかっているので、祖父母に何らかのトラウマがある人もしょうがないかなとも思う(とは言え、それが差別の言い訳にはわならないが)。
とは言え「あなたはトラウマ3世代目だからそんな差別的なこと言うんですか?」と聞くわけにもいかないし、日常的には否応なくそういうものに出会ってしまう。
そんな時いつも浮かぶ疑問がある、それがこれ。
この人は自分がぜったいに日本人だという前提で話しているのだろうか?
石器時代から数えて、国のラインが引かれたのなんてつい最近の話だ。しかも、ほとんどの人がせいぜい祖父母くらいまでしか知らない。それなのに、自分の血がどこまで遡っても、現在の他国の祖先と交わってない、ぜーーーーったいに純性日本人の血しか入ってないと思ってるってこと?
そう思ってない限り差別ってできないよね?
でも、それって、ものすごい幻想に基づいた話じゃない?
それとも「いやいや、私は自分から上3世代限定で、そこまでが日本国籍でない人は非日本人だという定義のもとで差別してるんです」とかっていうことなの?
私は国境っていうのは、年金とか、健康保険とか、魚を捕る範囲とか、そういったことがぐちゃぐちゃになるとわかりずらいからあるだけの物だと思っている。
石器時代から数えたら、人間の血なんてもうぐっちゃぐちゃに混ざってるのに、自分は日本人だと信じて非日本人を差別してるっていうのが、私にはまったく理解できないのですわ。
皆さん、理解できます?
それとも何か別の思考回路があるのかしら?あったら、教えてください。
そういう人は、数年前から出てる遺伝子テストとかやったら、ちょっとは考え変わるのかな?実は「あなたも今のシリア、ウズベキスタン、中国、韓国、モンゴルの血入ってまっせ」ってなるんじゃないの?結局みんなファミリーでした、なんじゃないの?と。
やっぱりテーマがテーマだけに自分で熱くなりました…。
「みんなファミリー論」に関しては以下のビデオが面白いので観てください。
差別する人の心を分析する
冷静になるために、私なりに差別者の精神を(深層心理的に)分析してみます。
まず、差別してしまう人達のほとんどは「肌の色」とか「何々人」とか
むっちゃくちゃ漠然とした概念だけでしか世の中を捉えていない。
この漠然とした、というのが大事。
そして、結論を言うと、
差別は、本人の自分の中にある未知な部分に対する恐怖心の投影でしかない
この「自分の中にある」という部分はむっちゃくちゃ大事。自分が今まで触れ合ったことのない「相手の要素」に対する恐怖ではなく、あくまでも、未知の相手によって呼び覚まされる「自分の中の自分が向かいあってこなかった部分」に対する恐怖だ、ということを強調したい。
まだわかりづらい?例を挙げます。
差別する人の心を理解するための一例
皆様にわかっていただきたい想いで例を挙げますが、これはあくまでも例です。ここでは統計学的に実際にどのタイプの人間が差別しやすいかという話ではありません。そして、差別する人の心を「理解するため」という表現に愛を感じてもらえれば。
例えば、今まで外国人を見たこともない田舎に住むおばあちゃんが、いきなりすごいエキゾチックな外国人を見たとする。
おばあちゃんは、
自分がその人物についてどう思うか知らない、その経験がない。
話した時に自分が感じるであろう気持ちを予測できない。
相手が自分にどう反応するかも予測できない。
むっちゃくちゃ嫌な気分になるかもしれないと無意識に思う。
これはかなり不安な状態であり、これが上で強調している自分の中の自分が向かいあってこなかった部分。
そこでおばあちゃんの心は、不安を取り除き安定させるため、次のような守り機能を作動させる。
上に書いた恐怖心を抑圧。抑圧しても感情は消えないため、その恐怖心は相手(外国人)からくるものだとおばあちゃんに思い込まさせる。外国人=怪しい、危険。
さらに人間の心は嫌なこと、エネルギーのかかることを避けますから、
その外国人と直に接して未知の自分と対峙するよりは、個人的な関わりなしで漠然とした「怪しい外国人」というカテゴリーに入れて敵視や軽視するというメカニズムを貫く。
そして、おばあちゃんは町の知り合いなどに「怪しい外国人がウロウロ物色していた」と話すわけです。
この「怪しい外国人がウロウロ物色」というのも、ものすごーーーーく漠然としてますよね?だって、直接のコンタクトもなく、知識もないんだもん、それ以上具体的になりようがない。
だから、ぶっちゃけ、差別は差別される人たちとは全く関係ない事象なんです。それが有色人種であれ、宇宙人であれ、黄金の色をした巨大なカエルであれ。
ですから、日本国内であれ外国であれ、皆さんがもし差別を受けるようなことがあったら、「ああ、この人は自分の未知との遭遇がまだできないんだなぁ」くらいに思うのが最高のストラテジーだと思う。
ここで大事なのは、その相手を見下さないことだ。なので上に「まだ」という言葉を入れた。私は人間は成長するものだと信じているので、今差別している人も今後変わっていく。そして、そういう人が増えて差別はなくなると信じましょう!
さて、今日は重いテーマについて書きました。少しでも面白いなと思ったら、フォロー、スキ、コメント、拡散お願いします。ありがとう。
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