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見つめるということ 長女12歳誕生日

なんでなんでなんでなんでなんでなんで
いつから続け様に言わなくなったのだろう

毎日何十回も繰り返されていた
娘の「 なんで 」と私の見解

それに対する娘の「 なんで 」とそれに対する私の見解

その繰り返しの日々

育児の中でエンドレスに思える事柄は
大体が、過ぎてしまえばああそんなこともあったなと思えることばかり

好奇心から発せられているのだろうとも
単に口癖、条件反射、一般的ではない脳の作りによるものとも思えた娘の「 なんで 」だが

ないがしろにしたくはなかったので
その時その時の自分の考えを伝えてきた

今にして思えば答えは何でも良かったのかもしれない
ただ、あなたの言う事をちゃんと聞いていますよ
という事が伝われば良かった様にも思う

娘の「 なんで 」はいつしか

あれも面白そうこれも楽しそう
あそこ行きたいこれやりたい

それらの言葉に変わり
いつも彼女をワクワクで満たしている

同じ歳の子の中ではまだまだ稚拙な部分も多いとはいえ
出来る事もぐんと増え
精神面でも大いに成長している

きっとこれからも変わらないのは
見慣れぬ人の目には不可思議に写るかもしれない身体表現
苦手で出来ないいくつかの動作や作業

1度目の脳症後の経過観察の脳波検査で
後遺症などは全くありませんが
脳に元々正常ではない部分があります
医師にそう言われて納得腑に落ち

きっと私はそれまで以上に長女を
多角的に見つめる様になったのだと思う

人は自分の理解できないもの、答えを出せないものを拒む場合が多い
自分の世界に存在しないものは
怖いから

それまで知らなかった
自分の世界において異質なものは
しばらく
ただ
見つめてみるのがいい

どうにかしようとせず
目を背けるのでもなく

ただ
見つめる

見つめることができれば
怖くなくなる


10秒か
10分か
ひと月か
一年か
一生か

見つめていると
どういうものか見えてくる
そういうものだと見えてくる

そして
自分にとって大切なものならば
ずっと見つめる

今目の前にあってもなくても
見つめる

想い
見つめる


見つめることは
愛すること


誰かを
何かを
自分を

見つめる


私は
これからも
いつまでも
娘達を
見つめてゆくだろう

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