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グレーゾーン② 診断と小学校での様子

グレーゾーン ① 場面緘黙の幼少期の様子と幼稚園選びの大切さ

https://note.mu/mizukimizuki/n/nd45c042139d7

の続き

その頃発達障害という言葉を頻繁に聞く様になり、本など読んでみれば、場面緘黙とは別に我が子に当てはまる事多数

脳波検査とは別に受けた発達に関する検査や医師の診断は、明確に発達障害とは言えないが明らかにグレーゾーンというもの

ちなみに、幼い頃から多動などが顕著な男児に比べ、自閉傾向の多い女児は発達障害の診断が下り難く、変化の大きい思春期に入ってから診断される事も多いそう
学校ではトラブルもなく問題視されず、性格的なもの、で収まるのだろう

長女の場合、授業中立ち歩いたりはしなかったが、興奮すると手を叩くだけでなくよくバッと立ち上がったり、その勢いで机がガッと前にずれたりしていた

長女の興奮とは、興味を持ったり面白いと思ったり凄いと思ったり、とにかく琴線に触れた状態で
今でも年中手を叩き、時にはロックミュージシャンの如く頭をシャウトさせ、部屋を行ったり来たりを繰り返したりもする

ちなみに手を叩く様になる前はシュリケンを投げまくる様な、平手を合わせて最速でゴマをする様な、何とも面白い動きをしていた

とても可愛くいつまで続くだろうと思っていたがシュリケン飛ばしはお目にかかれなくなった

そんな風なので
学校へ行くと長女のクラスメイトが
何で古川さんはすぐ手を叩くの?
喜ぶと手を叩くよね
古川さんて変だよね
なんで?なんで?
いつもあーなんだよ、こーなんだよなどなど話してくれた

子供らしく悪意と好意は明確でそれはそれで安心できた
大人になると好意に含まれた悪意というものもあるので面倒である

ただ私とて我が子が1番可愛い親である
あまりに可愛げのない子供には私の中のブラックみずきが
カバ面の気の毒な少女よストレスでも抱えておいでか?
などと毒づいたりしていた

嬉しかったり喜ぶと手を叩くんだよ
苦手なことや出来ない事は、教えたり助けたりして下さい

と言うと素直に娘を気にかけてくれる子もいたが、そういう子は何も言われなくても遅かれ早かれ動ける子なのかもしれない

先生の中には若い方らしい表現で
古川さんには宇宙を感じます!
と仰った方もいて
ですよねー!寝てる間も交信してますよー!
などと笑った

実際寝言で喋っていることがあるし
うふうふ笑っていたりもするので可愛い

また違う学年では最初の参観後
どうですか?大変な事もおありかと思います
と先生に話しかけると
開口一番元気ハツラツ嬉しそうに
いやーお母さんも苦労されているんですねー!!
と返ってきたこともある

いやいや私は苦労はしてないよ
苦労してるのはあなたでしょう
と思ったが
そういう人に物申してもいい事は何もないので話を続けた

以前読んだ記事に
ダウン症の弟がいる女性が小学生の時みんなの前で先生に
「彼女は障害のある弟さんがいて大変なのに頑張っている」と言われて悔しくて帰って大泣きしたとあったが心情としてよく分かる

娘は新学年スタート時点で「苦労する子」にカテゴライズされたのかと
それから一年の雲行きを案じつつ校舎を後にした

結局特に問題はなく、娘の得意分野がその先生の興味ある分野という事もあったからだろうか、その点とても認めて下さり、最初の懸念は取り越し苦労に終わった

言葉ひとつ
その人の本質が現れるし
悪気なく相手への配慮が欠ける場合もある
どちらにせよ、根本はそういう人なのだろうと思ってしまう私の寛容度の低さ

そんな場面に遭遇する度に、自分自身娘達に対する時も言葉ひとつの重さを念頭に置こうと我が身を省みる事ができるので、他人様の存在は有難いものである

診断については、明確に発達障害という診断が下りるか下りないかのラインで戸惑う父母は多い様で
診断が下りないことで、より我が子への対応に困ったり周囲の理解が得られぬままトラブルが起き学校へ行けなくなる場合も多いそうだ
逆もまた然り

結局、どの道悲観する人はするのだろう

それは健常児の育児でも同じだし、日々の生活全てに通じることだろう

さて、娘への認識や相性は先生により異なるとは思うが
皆さん口を揃えて仰るのが
いつも一生懸命な頑張り屋さん

些細な事で興奮して喜ぶ娘は実際いつも楽しそうであるし、苦手なことに取組む
そして何かする時は髪を振り乱して集中するので、見た目にもとても一生懸命に見える

あとは、基本的に誰かに何かをするわけではないので、先生方が対応に苦慮する場面は少なかったのではないかと思う

新学年始めの問診票には、脳症の既往歴は細かに書くが、その他気になる事は、理解行動にやや時間がかかる、という程度である

どんな人でも事前情報により必ず先入観は持つと思うし、事前に伝えておかないと絶対的に困る事以外は、その都度考えれば良いと思っている

学校生活の中で、一般的にできる事を全てできる様になって欲しいと思ったことはないが
通常級での生活は、平均値を基準にして事が進められる
そういう教育システム自体の善し悪しはさて置き、基準には到底及ばなくとも、苦手でもとりあえずやってみるのは良いことだと思う
娘には自分のペースで良いからやってごらんと言ってきた
やってみて歯が立たないこともあれば、ちょっとできる事もある、意外とできることもある
何事もやってみないと分からないし
最初から諦めたら楽しむ機会が減る

全然できなかったら
今はできないね、そのうちできる様になるんじゃないの

そしてさっさと次へ行くのみである

ちょっとできたら
もっとできるかもね、やってみる?

そんな感じのやりとりを続けてきた

ただ、長女が1年生の頃は学校自体縄跳びが盛んで、休み時間は中庭で練習台に並んで練習
全員前跳び100回を目標に廊下に名前一覧が張り出されていた

何が何でも出来ないとダメという雰囲気ではなかったものの、学内で関わる時間が多い事柄
今はできないけど、少し頑張ってみようか
というスタンスで背中を押した

運動が苦手、というよりも身体の動かし方の発達が遅い長女は前跳び1回の以前に、手足別の動き自体難しく、1回はどうにかできる様になったものの、2回続けるまで数ヶ月かかった
それでも毎日やっていたら最終的には108回跳べた

担任のベテラン先生は、OBの縄跳び先生に
古川さんが縄跳びを跳べるようになったのはあなたのクラスでの1番の凄い出来事だと言われました
と仰っていた

という位動きが未発達であった娘だが2年次には二重跳びが20数回跳べる様になり、継続の力に感心したと共に、長女本人にとってもとても大きな自信になった出来事だったと思う

ただ、これは、長女も私も「繰り返し」に強いため結果として良いものになったのだと思う

できない繰り返し期間を続けられたので、その先に繋がったけれど、繰り返す事が苦手な子の場合はより苦手意識や劣等感を感じてもおかしくないと思うし、当然そういう状況を見守り続けるのが苦痛な親もいるだろう

娘が繰り返しが苦手な性質であったならばきっと苦痛でしかなかっただろうから、その旨を先生に伝えた上で最善策を考えただろう

とまあ、だいたいの事柄に対してこんな風に取り組んできた

そんな長女も
宿題を誤魔化してやらなかったり面倒な事はズルしたりする様になってきた

先日次女の用事で学校へ行くと、昇降口でひとり担任の先生に厳しい顔で何か言われているところへうまいこと出くわした
話が終わった長女を先に帰し先生と話す機会を得、最近の様子を聞くことができた

今まで真っ直ぐ過ぎて自覚なく無理をしているのではないかという心配をしてきたが
逃げてみる事も出来るくらい成長している様子に少し安心した

信頼してお任せできる担任の先生に受け持って頂けるというのは本当に有難い事で
娘達にも私は先生大好きよとよく話している
実際そうなので自然とそういう会話になる

苦手な場合は苦手とは言わない
娘達とのコミュニケーションを増やし、様子をよく見る
気にかかる事がある場合は聞く

親の言葉の影響力は計り知れないので、恐ろしくて迂闊なことは言えない
特にマイナス要素を多分に含んだ言葉は

我が子だからと自分の気持ちを何でも言うのは単なる甘えであり、家族ゆえの気を遣わないコミュニケーションとは全くの別物である

言葉ひとつ
やはり大切なものである

③囚われない捉え方
に続く

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