名画『モナ・リザ』に“神の子羊”と“天使の翼”を見た経緯と考察 #14
#14 消えた翼
へえー、この絵にはこんな仕掛けがしてあったんだ。それがそのときの率直な感想でした。
愚かにも『モナ・リザ』の真のモデルを突き止めたと思っていた私は、この絵にはまだ解き明かされていない多くの謎があるのだということを、改めて思い知らされました。
そしてここで思いがけないことが起きました。
その額縁には埃がたくさん溜まっていたため、これをきれいにして“翼”をもっとよく見ようとしてハンカチで額面を拭いたとたん、それまで見えていた“翼”が消えてしまったのです。その後はどうやっても、その“翼”が再び現れることはありませんでした。
その“翼”の出現には埃が関係していた可能性があります。しかし、それは一体どういうことなのでしょうか?
玉虫色に見えたことから、その“翼”が“構造色”の原理を利用して描かれていることはおそらく間違いないと思います。“構造色”とは、微細な表面構造や薄膜による光の干渉で生み出される色のことです。玉虫の羽だけでなく、例えばDVDの裏面など、それ自体に色はついていませんが、鮮やかに色づいて見えます。
『モナ・リザ』はスフマート技法によって描かれています。つまりこの絵にはさらに何かを薄く重ねなければならないというメッセージが込められているのかもしれません。
もし、薄膜による光の干渉が起きていたのだとすれば、この場合の薄膜として考えられるのは、“埃の層”、額縁の“透明シート”、そして透明シートと絵との間にある“空気の層”くらいです。これらのすべてが必要なのか、それとも単独でいいのか? もしくは組み合わせる必要があるのか? あるいはまだ他に何かの層が必要なのか? さらにそれらの層の厚みはどれくらいなのか? いや、もしかしたら照射する光の種類や強さなんかも関係しているのかもしれません。
その後もいろいろと再現を試みましたが、私にはできませんでした。私の記憶の限りにおいて、“翼”はけっこう精巧に描かれていたように思います。そのため、おそらくレオナルドは、きちんと確認しながらあの「翼」を描いたのではないかと思います。でも、どうやって? 私の場合のように、埃のたまったガラス板でも使っていたのでしょうか? 額縁に埃がたまるのを待って何度が再現しようとしましたが、結局できませんでした。
先ほども話しましたが、「翼」が構造色の原理を使っているとしたら、光の干渉が起きていたと考えられます。光の干渉にはいくつかタイプがあり、私が見たのは、もしかしたら「薄膜による干渉」か、もしくは「微細な溝・突起などによる干渉」だったかもしれません。つまり、たまたまそういう条件が重なっていたために見えただけったのかもしれません。一方、レオナルドはきっと再現性の高い方法で光の干渉を発生させていたのだと思います。
実は一つだけ気になっていることがあります。それは「サルバトール・ムンディ」です。サルバドール・ムンディの左手にある水晶玉は普通の水晶玉ではありません。もし通常の水晶玉なら、映し出されたものは光の屈折により反転して見えるはずです。ところがこの水晶玉に見えるものは、まるでクリアなガラス板を通してみているようです。光学についてかなりの研究をしていたレオナルドがこのようなミスを犯すはずはありません(図58参照)。
つまり、これはなんらかのメッセージではないかと思うのです。また、「サルバトール・ムンディ」の右手をみると、親指、人指し指、中指の3本が立っています。もしかしたらこれは、“薄いガラス板のような透明なものを複数枚(例えば3枚)重ねてみてみよ”というメッセージではないかと思うのです。即ち、レオナルドは、「多層膜による干渉」を生じさせて絵をみることを伝えているのではないでしょうか? もちろん、これはあくまでも単なる私の推論にすぎませんが。