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名画『モナ・リザ』に“神の子羊”と“天使の翼”を見た経緯と考察 #17

#17 おとぎ話-神様について-
 ここからちょっとおとぎ話をします。おとぎ話というのは、これからする話はあまりにも現実離れしていて、ほとんどの方には到底受け入れられるものではないためです。
 
 それは、先に記述した「天使の翼」のことです。構造色の原理を利用して表された虹色の天使の翼。その翼の作風について一つだけ疑問があるのです。その疑問は、あの翼を見た瞬間に直観的に沸き起こったものです(図78参照)。

 その疑問とは、「これは本当にレオナルドが描いたものなのか?」というものです。
 
 あの翼の作風は、私が知るレオナルドの作品群のものとはかなり異質であるように思えました。簡単に言うと「子供っぽい」のです。こんなことを言うとレオナルドに対して大変失礼かもしれませんが、実際にそう思ったのです。翼の中にさらに子羊を描くという構成は、写実的に描くことを常としたレオナルドの作品からはとても想定され難いものです。
 
 そこで私はある仮設を立ててみました。それは、「もし仮に、あの翼がレオナルドによって描かれたものではなかったとしたら?」というものです。この仮説は全く矛盾しています。なぜなら、あの翼は間違いなくレオナルドの手によって描かれたものだからです。構造色の原理を利用して翼を描くなどということは、レオナルド以外にはできっこありません。
 
 どういうことなのか? 私が言いたいのは、「あの翼は、レオナルドの手によって描かれたものだが、レオナルドが意図したものではなく、何者かが、レオナルドの身体と技術を使って描かせたものなのでは?」ということなのです。

 かなり奇妙で荒唐無稽な仮説ですが、そう仮定することによって見えてくることがいくつか存在します。
 
 まず第一に、レオナルドは、その何者かによって選ばれた者であるということです。ここで、「何者か」という言い方は少しやりにくいので、便宜上、その者のことを「神様」と呼ぶことにします。ここでいう「神様」とは人智をはるかに超えた存在ということを意図しています。
 
 この「神様」は、これまでのように、ある特定の人物、例えばイエスやムハンマドなど、預言者と称される者にメッセージを直接伝えるというやり方ではなく、自ら選んだ者の作品や人生を介してそのメッセージを伝えようとしているようです。
 
 イエスにしてもムハンマドにしても、メッセージを真に伝えられた者は、その後とてもひどい目に合わされてきました。その一方で、メッセージを受けてもいないのに自らを預言者と名のる偽者が数多く現れてしまうことにも心を痛めていたのかもしれません。
 
 そこで「神様」は一計を案じ、自分のメッセージを、特定の者に直接伝えるのではなく、人気があって評判の高い人物の作品などに潜ませることによってより多くの人々に伝えるという、そんなやり方に切り替えたのではないでしょうか。つまり、「その者の作品や生き方を見ていれば、分かる者には分かる」と。
 
 このやり方によれば、マスメディアが発達すればするほど人々の目に触れられる機会が増えるため、メッセージが理解される可能性は高まります。特に、映画、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌だけでなく、ネットやSNSなど、高度に発達したメディアが多数存在する現代社会においては、世界中の人々にくまなくそのメッセージが伝えられることも可能です。
 
 『モナ・リザ』の場合、「神様」は、『モナ・リザ』に潜ませた「ミカエルの翼」を人々に気づいてもらえるように、少なくとも第2、及び第3の人物を選んだようです。もっと多くの人物が選ばれているのかもしれないですが、今のところ私が見つけることができた人物は二人です。


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