名画『モナ・リザ』に“神の子羊”と“天使の翼”を見た経緯と考察 #11
#11 両性のスペクトラム
『モナ・リザ』の構成を紐解いたとき、それまで抱いていた疑問に対する答えを見つけたような気がしました。
その答えとは、私たち人類は皆、“男性的要素”と“女性的要素”という2つの異なる要素を合わせもつ存在だということです。つまり、男性の身体的特徴を持っている人(以下、男性と称します)も心には男性的要素だけでなく女性的要素も持っており、逆に女性の身体的特徴を持っている人(以下、女性と称します)も心には女性的要素だけでなく男性的要素も持っているということなのです。
最近、LGBTという言葉をよく耳にします。性的少数者といわれている人たちです。Lはレズビアン(女性同性愛者)、Gはゲイ(男性同性愛者)、Bはバイセクシュアル(両性愛者)、Tはトランスジェンダー(性同一性障がい者を含む、心と出生時の性別が一致しない人)を意味しています。
私は、実はこの人たちこそが、人間の本質を理解する上で重要な手がかりをもっていると考えているのです。それは、性的少数者とよばれる人たちと、一般の人たちとを分けることは、あまり意味がないことなのではということなのです。もちろん、性的少数者同士の間でもです。
私は、先ほど紹介した“性スペクトラム”という考え方を借りて、人間の心について考えてみました。
人間の心には、“男性的要素”と“女性的要素”という2つの異なる要素があって、それぞれがスペクトラム(連続性)を形成しているのではないかと思ったのです。例えば、男性的要素と女性的要素のそれぞれが、0~100%の間で連続しているとします。このとき、男性であっても、男性的要素よりも女性的要素の方が多ければ、自分の性を女と認識し得るだろうし、男性的要素と女性的要素が同じくらいだったり、あるいは時と場合によってその比率が変わる人もいるかもしれませんから、そうした場合は、自分の性がどちらに属するのか判断し難くなると思います。もちろん、このことは女性の場合にもいえます(図41、図42参照)。
例えば、トランスジェンダーと呼ばれる人たちの場合、男性のトランスジェンダーの場合は女性的要素の方が多く、女性のトランスジェンダーの場合は男性的要素の方が多いということになるでしょう。
一方、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアルと呼ばれる人たちの場合はどうかと考えると、基本的には、どういう相手を恋愛対象とするかは、その人の好みや相性などによるところが大きいと思います。ただ、トランスジェンダーと呼ばれる人たちほどではないとしても、男性の場合は女性的要素が比較的多くて、女性の場合は男性的要素が比較的多いということはあるのかもしれません。
ゲイを自称する知人の交友関係をみていると、普通に女性との付き合いもあるようですし、その人の友人のゲイの中には、女性と結婚して家庭を持っている人もいるそうです。ゲイとは言うものの、バイセクシャルに近い感じなのです。
そういうことを踏まえて考えると、好きになる対象が同性の場合もあるというだけで、ゲイとバイセクシュアルとの間の境界というのは、実はかなりあいまいなものなのではないかと思うのです。ゲイに近いバイセクシャル、または逆にバイセクシャルに近いゲイといった具合に、中間的な性質をもつ人もいると思うのです。もちろん、このことはレズビアンとバイセクシャルとの関係にもいえると思います。
“性的少数者”と“一般の人”とに分けるのは意味がないと言っておきながら矛盾するようですが、説明のために敢えて“一般の人”という言い方をさせてもらうと、ゲイ、レズビアン、もしくはバイセクシュアルに近い“一般の人”もおそらくいると思います。つまりこれらのことは、“男性的要素”と“女性的要素”という2つの異なる要素がスペクトラム(連続性)を形成していることを裏付けていると思うのです。
ただ、男性は男性的要素の方が勝る人の方が相対的に多くて、また女性は女性的要素の方が勝る人の方が相対的に多いということは言えるのかもしれません。けれど、スペクトラムを形成している以上、女性的要素の方が男性的要素に勝るか、もしくは女性的要素と男性的要素とが同等という男性がいることは当然のことであり、同様に、男性的要素の方が女性的要素に勝るか、もしくは男性的要素と女性的要素と同等という女性が存在することも当然のことだと思います。
この考えに従えば、人によって“男性的要素”と“女性的要素”の比率はそれぞれ異なることになるため、人の数だけ“性”があるといっても良いのかもしれません。ただ、結局、2つの異なる要素を持っているという点では皆一緒なのです。男性的要素または女性的要素のいずれか一方しかもたないという人間の方がむしろ稀な存在なのではないかと思うのです。
従来は、ほとんどの男性は男性的要素のみを持ち、またほとんどの女性は女性的要素のみを持っている一方で、女性的要素を持っている男性や男性的要素を持っている女性が少なからず存在する、といった考え方が、これまでの主流であるように思います。しかし実際は、男女を問わず、ほとんどの人間が男性的要素と女性的要素の二つをもっており、男性的要素のみ、あるいは女性的要素のみを持っているという人の方がごく少数であるということなのではないでしょうか。
尚、私は、LGBTのように分類するのは全く意味がないと言っているのではありません。分けることになんらかの意義があるのならそれはそれでいいと思うのです。例えば、そうした人々がいるということを、世の中に広く知ってもらい、より正確に理解をしてもらうためになど。ですが、分けることによって不当な差別を生み出し、それを助長してしまうような場合は、むしろ無くした方がよいのでないかと考えています。