転部・転学(大学編入)の思い出2
転部をした理由としては行った学部に興味が無かった。
そもそも高3の時点で一般受験で自分の行ける大学がほぼ無かった。
最低ラインの内申点があったため一般受験を回避し推薦という枠で日本大学国際関係学部を選んだ。
普通に受験したら全滅していたと思う。
親も先生も日大には行ける(学部は選べない)のにむやみに一般受験する意味あんの?と説得されて渋々了承したという経緯がある。
結果的には自分はこの方法で大学に入ったのが最適解だった。
日大は学部ごとにキャンパス、拠点が異なり、それだけで一つの大学くらいの規模がある。
自分が入ったキャンパスは静岡県三島市にあった。18歳という多感な時期に知らない土地に飛ばされて4年間過ごすというのは当時の自分としては辛いものがあった。
勝手なイメージだけど大学=都内みたいな想像を膨らませていた自分には何とも言えない気持ちではあった。
そもそも行く気も無かったし、高校の延長線みたいな環境では刺激もなにも無かった。
仮に国際関係学部が都内にあったら4年間学部を変えずに通っていたと思う。
授業自体は面白いものもあったし、都内に置いてもう少し経営を変えれば生徒数増えるんじゃないかと思うくらい。
実際日大レンジ、それ以上で国際何とか系をもつ大学は人気があったりする。
日本大学国際関係学部を批判するわけじゃない。 単純に自分が合わなかっただけ。
気持ちが続かないのに4年間無駄にするのは意味ないと思ったのだ。
当時の自分としてはスポーツ選手が環境を変える為に移籍するみたいなノリだったのだろう。
どの時期から転部・転学(大学編入)を考えていたかと言うと高3の1月くらいから。
年内には合格を貰っていたので卒業までの残り3~4カ月と言えば短期のバイトをして車の免許取るくらいしかやることが無かった。
4年間絶望しながら大学に通うのはさすがにメンタルが持たないと思ったのか考えた策が転部・転学(大学編入)だった。
今ほどネットが発達していなかったので情報は少なかった。
あっても大学のHPに過去問、過去の合格率が載ってるくらい。
受験みたいに専門誌、参考書もあるわけでもない。
専門の予備校みたいなものもあったけど都内にしかないので通えるわけがない。
1年目から大学変えたいって言って周りに冷ややかな目で見られるのも分かっていたので黙って進めるしかなかった。
そんな中で自己流の勉強法で勝てる方法を見つけるしかなかった。
転部・転学(大学編入)のチャンスは実質2回(2年生に入るか3年生に入る)とあるが2回も同じ試験受けるほどメンタルが持たないので一発で変えたいと思ってやっていた。
絶対に変えたい、少しでも受かる確率を上げたいと思ってやっていたので、この学部に変えたいという人にはもしかしたら不向きかもしれない。
どちらかと言うと行きたい大学ならどの学部でもいいくらいの気持ち。
自分の場合は都内にも行きたかったので行きたい大学(都内)って感じだったが。
結果的にはうまくいったので当時やっていた勉強方法を次回は書こうと思う。
参考になるか分からんが。
おわり