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「人は夢を二度見る」—くぼしたが夢を見るまでの物語—

 「人は夢を二度見る」について考えていきたいと思います。

 この曲単体で考えるというよりかは
「人は夢を二度見る」が「不眠症」のアンサーソングでは無いかという視点で考えていきます。

曲の概要

・不眠症

2017年10月発売の19thシングル
「いつかできるから今日できる」
のカップリング曲。

久保史緒里と山下美月のWセンター。

・人は夢を二度見る

2023年3月発売の32nd目シングル
「人は夢を二度見る」の表題曲。

久保史緒里と山下美月のWセンター。

 比較

 2つの曲の共通点と歌詞の解釈、対比で考えていきます。

共通点

 まずは、久保史緒里と山下美月のWセンター。

 また2つともテーマが"夢"であること。

 更に"夢"も「睡眠の夢」「叶えるための夢」の2つに分けられます。

 曲にこれら2つの意味の"夢"が掛けられていて
「夢を叶えること」を「眠ること」で喩えています。

 「眠ること」は「夢を見ること」に繋がり、「夢を見ること」は「夢を叶えること」の通過点になります。

「眠ること」→「夢を見ること」
「夢を見ること」→「夢を叶えること」※

これらを合わせると

「眠ること」→「夢を叶えること」
と繋げられます。

ここからは
「眠ること」=「夢を叶えること」
という仮定を前提に読み解いていきます。

※二度見の歌詞に「叶えるために夢を見られる」とあるため、「夢を見ること」を「夢を叶えること」に繋げる解釈をしても強引ではない気もします。

歌詞の解釈と比較

・不眠症

ふかふかのベッドではもう夢なんか見られない 環境が恵まれ過ぎてる

不眠症

「ふかふかのベッド」、これは2017年に力強い活躍をし大きな結果を残した1.2期生と彼女達が作った乃木坂46の環境の比喩と考えます。

 その言い換えが「環境が恵まれすぎている」。
睡眠において「ふかふかのベッド」は快適な物です。

 また、くぼした(3期生)達が眠ること(=夢を叶えること)において、こうした環境はあまりにも良すぎる、恵まれすぎている、と表していると考えます。

 曲のフォーメーションには1.2期生も居ますが
「環境が恵まれすぎている」はくぼした達視点の歌詞です。

 「ふかふかのベッド」は
(=恵まれた環境)は
(=1.2期生たちが作り上げた乃木坂46)は

自分たちが眠るのに
(夢を叶えるのに)

恵まれた環境。
でもそんな環境では夢を見てはいられない。

何もない床の上疲れて横になりたいよ

不眠症

 「何もない床」と「ふかふかのベッド」は対比。「ふかふかのベッド」に対して「何もない床」は硬く、眠る環境に適していないので。
 つまり夢を見る環境、ひいては夢を叶える環境に適していない。

 「ふかふかのベッド」が先輩たちの作った恵まれた環境なら、「何もない床」は自分たちで作り出す新しい環境と考えることもできます。


眠りにつくのに
(夢を叶えるのに)

環境が良い「ふかふかのベッド」で
(1.2期生の作った乃木坂で)

眠るくらいなら
(夢を見るくらいなら)、

眠る環境が悪くても
(辛くても)

何もない床で
(自分達で作る新しい環境で)

疲れて横になりたい、眠りたい
(とてつもない努力をして、夢を叶えたい)

甘えてる自分に僕は辟易とした
出ていこうここではダメなんだ

不眠症

 自分達が夢を叶えるのに、1.2期生が作った乃木坂46という恵まれた環境に甘えている、依存している自分に僕はうんざりしている。

 ここで甘えて夢を叶えるくらいなら、この恵まれた環境から出よう。ここではダメなんだ。自分達自身で環境を作って眠ろう。夢を見よう。

不眠症でいい

不眠症


 逆に、

ふかふかのベッドに
(このままこの恵まれた環境に)

留まって
(依存して)

眠ろうとするくらいなら
(夢を見るくらいなら)

夢を見ない方がいい。そのために寝なくていい。不眠症でいい。

 恵まれた環境に留まり続ける
→ここで甘えて叶えられる夢なら見ない方がいい、そのために寝ない方がいい。不眠症でいい。

 恵まれた環境から出ていく
→硬い床(辛い環境)でもいいから自分達で夢を見て叶えよう、そのために疲れるまで頑張って横になろう。眠ろう。



 「不眠症」は全体として、

 「先輩たちが作った恵まれた環境なら夢は叶えられるけど、それには頼ってはいられない。そういう環境で夢を見るくらいなら見なくていい。」

「それらに頼らず頑張りたい。どうせ夢を叶えるなら、辛くても自分たちが切り開いた環境で夢を叶えたい」

 という意味が込められた曲と考えます。

 それを

「ふかふかのベッドではもう夢なんか見られない環境が恵まれすぎてる」
「何も無い床の上疲れて横になりたいよ」
「甘えてる自分に僕は辟易とした出ていこうここではダメなんだ」
「不眠症でいい」

と、睡眠で比喩していると思います。

・人は夢を二度見る

 上の不眠症の解釈を踏まえて「人は夢を二度見る」ではどう変化したのかを歌詞を比較していきたいと思います。

夢をもう一度見ないか

人は夢を二度見る

 不眠症の頃は、夢を見るどころかそれ以前に眠ることすら出来なかったのが、眠りにつけて夢を見ることまで出来ています。

夢は一度じゃないよ
ベッドの中で二度寝するようにまた見てみればいい

人は夢を二度見る

 不眠症に出てきた「ベッド」が登場します。
「ふかふかのベッドではもう夢なんか見られない」の歌詞のアンサーであり対比です。

 あの頃はベッドで眠る事すら出来なかったのに(というよりは忌避していたのに)、今ではそこで眠る事を勧めています。

 かつて3期生にとっての1.2期生が安心する
"ふかふかのベッド"だった様に、数年で成長して今では3期生があの時の先輩たちと同じ 
"ふかふかのベッド"になったと考えることも出来ます。
 3期生達自身が夢を見るための"ベッド"でもあるけれど、1.2期生の先輩達が自分達にしてくれた様に4.5期生の後輩達を包み込む"ベッド"になったと解釈もできます。

 「二度寝するように」という歌詞から、眠ることすら出来なかった2人が眠りにつくどころか、二度寝をできる様になるまで成長したと解釈も出来ます。

今ならちゃんと夢を見られる

人は夢を二度見る

 これが要です。

 明確に、ハッキリと、ここも 
もう夢なんか見られない
へのアンサーであり対比です。 

 「"今なら" "ちゃんと"夢を見られる」

 あの頃は不眠症で眠ることが出来なかった2人が今では眠りにつくことが出来て夢を見られる。

 「もう夢なんか見られない」
  ↓
 「今ならちゃんと夢を見られる」
 「夢をもう一度見ないか」

 2人(3期生)の成長をこの2つの歌詞を対比することによって強調しています。

 概して2曲の歌詞を比較して

「不眠症」から「人は夢を二度見る」では
不眠症で眠れなかった2人がやっと眠れるようになり、夢を見られなかったのが夢を見られるようになる。しかも次は二度目の夢を見に行こうとしている。
 上でも言いましたが、2人(3期生達)の6年半の成長をこの様な曲名と歌詞の対比で表しています。


曲の時期と背景の比較


 歌詞も繋がりがありますが、特に注目したいのは2つの曲が出た時期と背景です。

時期

 「不眠症」は2017年。
 「人は夢を二度見る」は2023年。

 2017年は、1.2期生が東京ドームやレコ大などの初めての記録を刻んだ年。大活躍した年。
 誤解を恐れず言えば最強の年。

それに対して

 2023年は、その1.2期生が全員卒業し、3期生が先頭で走る新しい体制になる年。3.4.5期生体制。

背景

 「不眠症」はその1.2期生最強期の真っ只中の曲。

それに対して

 「人は夢を二度見る」はその先輩達が全員卒業して1発目のシングル。

 これらの時期と背景を比較してみると

 「2017年では、1.2期生の先輩たちが作ってくれた"ふかふかのベッド"で敢えてくぼした達は夢を見に行こうとしなかった。それに甘えることは出来ないし自分達の道で夢を見たいから。そのために"何もない床"を選んだ。」

 「その1.2期生が全員卒業した2023年に、今度はくぼした達が"何もない床"から作った"ふかふかのベッド"で4.5期生を導きながら夢を見に行く。乃木坂46としての二度目の夢を見にいく。」

または

 「不眠症で眠れなかった(未熟だった)2人がそれを克服し眠れるようになるまでの(成長するまでの)物語。ひいては、眠れるようになるだけじゃなく"二度寝をする様"に夢をもう一度見に行く物語」

 みたいな物語が作れます。全て妄想ですが。

 そして、この2つの曲の流れまたは6年半の事を
くぼしたが夢を見るまでの物語
と勝手に言ってみたりします。

 曲名と歌詞の比較も出来ますが、時期や背景なども考慮するとより立体的に見えてくる気がします。

対比

 全体として整理すると

不眠症↔︎人は夢を二度見る

不眠で眠れない。→眠れる様になる。

1.2期生主体の乃木坂→3.4.5期体制の乃木坂

1.2期生の大活躍した年にリリース 

その1.2期生が全員卒業した後1発目のシングル

1番後輩の3期生→先頭に立つ3期生

みたいな対比にまとめられます。

齋藤飛鳥卒コン

 この曲を考える(語る)上で外せないのが飛鳥卒コンだと思うので卒コン視点でも考えていこうと思います。

 「人は夢を二度見る」が初披露されたのは2023年5月に行われた齋藤飛鳥卒コンです。

 凄く印象に残っています。

 このコンサートでこの曲をやってくれるんだという感謝でこのライブで1番泣いた思い出です。

 「やってくれるんだ」と言ったのは、本来この曲はオリジナルメンバーに齋藤飛鳥がいないからです。
 その曲の初披露を飛鳥ちゃんの卒コンでやってくれたんですよ。感謝しかないですしそれには深い意味を感じざるを得ませんでした。

 飛鳥ちゃんの曲フリを覚えていますか。
「一緒に"歌わさせてもらいたいな"と思います"」
なんです。
 本来このシングルには彼女はいないから。

 これを振り返る久保チャンネルで久保本人も
「誰も予想してなかったんじゃないですか、この曲をやるのは」と言っていますし、説明欄にも
「既に卒業していた齋藤飛鳥は32ndシングルには不参加。だからこそ卒業コンサートでの「人は夢を二度見る」のパフォーマンスは、最初で最後の貴重なものになりました。」と書いてあります。



 セトリを見て、飛鳥ちゃんが
"これから"の乃木坂46
の事を願って曲をセットしてくれてんだなって勝手に感じました。

 この曲の中でもそれを感じました。

 曲の始まりは最前列にいるのに、曲が終わる頃には1番後ろの列の更に後ろの列にいます。
(もしかしたら1番後ろの列かもしれませんが、とにかく最初の位置より下がっている)

 齋藤飛鳥の乃木坂46の"これから"を願う気持ちがこのフォーメーションに現れたのかなと思っています。妄想ですが。

 それになりよりこの曲は"これから"の夢を歌う曲ですし。

 いつも連番してくれる数年来のヲタクが
人は夢を二度見るは齋藤飛鳥のもう1つの卒業曲
と解釈していました。

 齋藤飛鳥のもう一つの卒業曲、もっと広く大きく言えば「1.2期生の卒業曲」なのかもしれません。
 1.2期生が全員卒業した後の新体制1発目のシングルがこの曲なので。
 また、その1.2期生が大きく記録を残す2017年に産まれた「不眠症」のアンサーソングが「人は夢を二度見る」ならそれもあり得るかもしれません。

 1.2期生の卒業曲でもあり、3.4.5期生体制始まりの曲、2つの意味がある曲なのかもしれません。

「今、話したい誰かがいる」も加えて

「不眠症」→「人は夢を二度見る」の間に
2022年5月の日産で行われた
10th year berth day live のくぼしたWセンター「今、話したい誰かがいる」
も加えて考えてみたいと思います。妄想です。大こじつけです。

この曲の歌詞に
諦めるなら1人でいいけど夢を見るなら君と一緒がいい
とあります。

「不眠症」から始まり「人は夢を二度見る」で完結するまでの流れを例えるとしたら
くぼしたが夢を見るまでの物語」。
 その物語の途中のどこかで諦めかけたけど、「やっぱり夢を見るなら君と一緒がいい」と再び宣言したのがバスラのくぼした今誰なのかなって妄想してみます。

これかなり自分勝手な妄想の大こじつけですが、

でも

不眠症で
「もう夢なんか見られない」

今誰(日産くぼしたwc)で
「諦めるなら1人でいいけど夢を見るなら君と一緒がいい」

二度見で
「今ならちゃんと夢を見られる」

 3曲通して、くぼした2人でこの台詞を言うの、美しすぎる流れだと思いませんか。

 不眠症から始まる二度見までの流れを、秋元康が未来を見越して計画していたのか。それとも、たまたまこういう流れになったのか。

 どちらかは分かりませんし、どちらでもすごい事です。

 仮に前者、つまり秋元康がこの流れを計画していたとしても、この綺麗な流れは久保と山下の2人の努力と実力があって初めて出来上がった物語でもあります。
 漫画や小説などの伏線張りと回収はフィクションなので計画通りに運べますが、現実世界ではそうは簡単に行きません。努力だけではなく運も絡み合って初めて出来上がるものです。

 他方で『坂道白書』では、二度見の発売時期とくぼした2人の大河ドラマ&朝ドラ出演の時期が丁度重なるから、この2人のWセンターにしたという話が書かれていました。


 計画していたのか計画していないかどちらにせよ、これを見ると2人の「実力」と乃木坂46の持つ不思議な「運」の歯車が丁度合致してこうなったとも解釈できます。

 最も、2人の努力を予定調和の様に言うのも失礼ですが、そんなつもりは全く全く全く無く、要するに"くぼした"の2人は尊くて、凄くて、本当に本当に偉いですよ〜🥹😭(急なさくたん登場)
なんですよ。


 ちなみにこの日産ライブを振り返るくぼチャンネルでゲストに来た賀喜遥香が
「"くぼした"は背中合わせが似合う」と言う大名言を残しています。

二度目の夢とは?

 最後に"二度目の夢"とはなにかを考えます。
 それは
生まれてから初めて見た夢
の続きの夢だと思います。

 2017年5月に出た3rdアルバム。
 2017年は1.2期生が大きな結果を残した年。初の東京ドームやレコード大賞など。

 「一度目の夢」とは、これらの事を指しているのではないかと妄想してみます。 

 「夢をもう一度見ないか」
 「夢は一度じゃないよ」

の歌詞から、過去に夢を一度見ていることが推察されます。さらにその続きである"二度目の夢"を見に行こうとする。

それが「人は夢を二度見る」。

 2017年の夢は"初めて"の夢。一度目の夢。
『生まれてから初めてみた夢』

 2023年以降の夢は"二度目"の夢。
「人は夢を二度見る」

 『生まれてから初めて見る夢』と同年に発表された「不眠症」、そのアンサー曲の曲名が「人は夢を"二度"見る」なのであれば、「一度目の夢」はアルバムが出た年の東京ドームやレコ大などの事かもしれません。

 一度目の夢が東京ドームやレコ大であるならば、二度目の夢もそれか、それ以上のモノか。

 2023年の神宮で久保史緒里が二度見の前で言っていた「新しい景色をお見せする」が印象に残っています。

 当時1.2期生が"初めての夢"を叶えた様に、次は3.4.5期生が"二度目の夢"を叶えるのかもしれません。

 これからの乃木坂46がどんな夢を、二度目の夢を見させてくれるのかとても楽しみです。


 稚拙な文と構成ですが、読んでくださってありがとうございました。

 上に書いたモノは、全て自分の妄想です。
 寧ろ関係性を勝手に推測して物語性を生み出す悪い癖出てますが笑

 答えは無いですし、仮にあったとしても知らなくていいと思ってます。

また、1.2期生、3.4.5期生を対比して考察しましたが、決して対立煽りとかでは無く、勿論大前提としてどの時代の乃木坂46も大好きです。

 乃木坂46は過去と未来と現在が交差する場所だと思っていますし、その全てが連帯的に作用して"乃木坂46"になってると思っているので。

 2023年以降も今もこれからもずっと1.2期生の愛は継承されていると思います。


 また、これに「未来の答え」「泥だらけ」を加えらるのですが、ここで止めておきます。

 昔書いたプロトタイプも置いておきます。

 更にこれらの曲以外にも
「僕のこと、知ってる?」と「他人の空似」
「Against」と「キャラバンは眠らない」
「僕は僕を好きになる」と「好きというのはロックだぜ」など、まだアンサーソングの関係にある曲はあるのですがまた時間ができたら書いていきたいと思います。


曲の引用元

人は夢を二度見る


不眠症



のぎ動画


Twitterでも乃木坂46の事を色々書いていますのでよければ。

@mizuki_tsubame

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