走ることは夢を見ることに似ている
ランニングに対する気持ちがとっても高まってまして。
というのも、村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んでランニングのモティベーションが上がりまくりなのです。
長距離を楽しいと思ってる人って、かなり少数派だと思う。
中学高校でも体育の持久走ってほとんどの人が嫌いだったよね。
わたしはなぜか昔っから好きだった。
好きだったというか、気づいたら毎日走ってた。
具体的に言うと、幼稚園に入園した時から。
どういう経緯かはわからんけど、家から幼稚園までの800mを毎朝走らされてた。帰りも走らされてた。
お母さんの自転車のとなりを。
雨の日だけお母さんの自転車のうしろに傘をさして乗ってた。
小学校に入って近所の体育館で習い事を始めた。
かなりたくさんの習い事をしてて、週に3日ぐらいその体育館に通ってた。
その行き帰りも走ってた。片道1kmぐらい。
そのころには運動大好き活発少女になってた。
そして小学1年の冬、初めての学内持久走大会、たしか4位だっけな。
もう少しで表彰台だったのに、っていう悔しさがあった。
そしてその冬から学校前に毎朝走り始めた。
次の持久走大会に向けて。
ここがやっと自発的に走り始めた時期かな。
それまでは母親に強制的に走らされてたかんじだったから。
それから友達を誘って走ったり、友達が来なくなったり、また新しい友達と走ったりして、気づけば小学校卒業までほぼ毎朝走ってた。
結局小学校の持久走大会での最高記録は2位だったけどね。
あとは親が運動のできる子にしたがってたっていうのもあって学外のマラソン大会なんかにも10回以上参加した。
県内府内の子たちが集まるその大会ではもちろん表彰台なんて狙えなかったけど。
中学に入学したら当たり前のように陸上部に入部した。
もちろん長距離パート。
入部当初は何故かめちゃくちゃ調子がよかった。
過去の栄光ですが、県大会常連で市内では敵なし状態だった。
(その後初潮が来てわたしの陸上人生は(今のところ)それがピークになった。)
良い結果は残せなくても、走ることはずっと楽しかった。
今でも楽しいと思う。
高校の頃に一時期陸上から離れたことがあったけど、すぐに戻った。
あぁ、わたしにはこれしかないなって。
そんなこんなでわたしは走り始めてから16年が経とうとしてるのですが、そんな中で死ぬほどされた質問があります。
「走ってる時って何考えてんの?」
いやぁ~~わたしも気になるなぁ~~~
全国のランナーさん、走ってる時何考えてますか??
聞かれるたびにわたしは「タイムとか?」って答えてたけど、もちろんそれだけじゃない。
ずっとタイムのことばっかり考えて走ってるわけじゃない(試合を除いて)。
じゃあ何考えてんの?
最近答えが出ました。
「覚えてないです」
そう、覚えてないです。
走りながらわたしはたくさんのことを考える。
昨日読んだ本のこと、彼が観たって言ってた映画のこと、今日の夜ごはんのこと、どこまで走ろうかな、とか、課題まだ残ってんな、中学の同期、あいつ元気にしてるかな、とか。
とにかく無限に考える。
でも走り終わって家でシャワーを浴びてる時にはほとんど忘れてる。
あーー気持ちよかった。それしか残ってない。
たまに覚えてることもあるけどね。
それはほんとに"夢"に似ている。
寝てる時の夢ね。
寝てる時は自分はその世界の中心にいる。
走ってる時もわたしはわたしの世界の中心にいてその世界はその世界の中だけで進む。
走り終わったら呪いが解けたようにすっぽり忘れる。
そう、走るということは独りの空間を作るということなのです。
自分が動き回る、走り回ることでわたしだけの空間を作り上げることができる、誰にも邪魔されない。
素敵でしょ?
まだ走り足りない。わたしはまだまだ走り続けるよ。
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