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谷川俊太郎の語る「言葉のインフレ」

先日谷川俊太郎さん死去のニュースを見た。

随分前から僕は言葉のインフレということを考えてたんだけど、今まさに本当にインフレがだんだんひどくなっていって、量ばっかりあって質がどんどん薄くなっていっている感じがしますね」

これは、彼がこのインタビューの中で語った言葉だが、この言葉があまりにも象徴的だったので、ここに記しておこうと思う。

彼の言う「言葉のインフレ」。

確かに彼の言うように、言葉なるモノはその様相を変え、そしてよどみなく氾濫する川の様に、あちこちにあふれかえっている。

毎日、毎日、そのどこからともなくあふれ出す、インフレし、その質が希薄化した言葉の氾濫の中で私たちは日々、生きているわけだけれど、こうした事を意識して生活をしだすと、この世界がなんとも苦痛で仕方がない。

毎日思う事なのだが、この氾濫してあふれかえるこの言葉の中で、私は窒息してしまいそうになる。

今や、言葉なるモノは、その内容もどんどんと希薄化し、その様はまるでなんの栄養もない形だけの食べ物の様になってしまった。

そんな言葉をいくら摂取しようとて、人間の心が癒やされる事はない。これは全く栄養のないものをいくら摂取しても太らないのと全く同じ事だ。

インフレし、その内に抱えている意味を完全に失った空っぽの言葉(言語)など、いくら聞いていたところで、その言葉が私たちを真に導くモノとは到底思えない。

そう考えて行くと、一体私たちはなんの言葉を使って生きているのかと思わされてしまう。空洞化した中身の何にもない、すっからかんの言葉を並び立て、それを正義と振りかざす。

自分が一体何の言葉を扱っているかの理解もなく、暴力的に言葉を自分の支配下に置き、そして言葉のあり方を歪曲させ、そして、その言葉を人間は使う。

なんだか、そう考えると、私も含め、人間とは本当に暴力的な存在であると思えて仕方がなくなり、その人間である‘私’にもなんとなく吐き気がする。


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