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彼の話。

「好きだから力加減を間違えて壊してしまうこともあるわよね。」

10月の末。私はこの世から消えちゃおうかなと思っていた。もう全部どうでもいいやと思ってスマホを投げ出し、ベッドの上でいなくなる時のシミュレーションをしていた。
何時間が経ったかわからない。ふとスマホを見ると2件の不在着信があった。これに折り返し電話をしてから居なくなろうと思い、彼に電話をかけた。幸い彼はすぐに出た。しばらくたわいのない話をしていたが私はふいに「死ぬ時はちゃんと誰にも迷惑かけないで死ぬからね」と彼に言った。別に彼に死なないでと止めて欲しかったわけでもなんでもないが、もし死んで友人関係を遡ったら彼にまできっとたどり着いて迷惑かけると思ったのだ。彼は前と同じ優しい声で「君はきっと何も準備をしないで急にいなくなってしまうんだよ。だから心配なんだよ。今日瑞季は死にそうだったよね、僕が電話をかけて引き止めなかったら。」と言った。その通りだ。続けて彼は言った。

「僕達は脳が近いから互いのことがわかるし、脳が近いからダメになったんだよね」


私には未だに引き摺っている彼がいる。彼とは目が合った時から「この人合うかも!」と思ったし、彼自身もそう思ったと後日教えてくれた。それくらいファーストコンタクトから惹かれあっていたと思うし自惚れでは無いという自覚もある。4月に出会ったとは思えないくらい仲良しだったし毎日ずっとLINEをしていた。私が杞憂して心配するとわかっているから、彼は「今日は誰と一緒にいるよ」「何何をしにここにいるよ」など写真付きで送ってくれていたし位置情報も共有していた。お互いがお互いを大切にしていたと思うし、この覚書をするためにLINEを遡ったら彼の温かみを感じて泣きそうになったから間違いない。彼の匂いも心地よかった。ハグをする時に柔軟剤の匂いがいいねと言ったらお揃いのものをプレゼントしてくれた。私は今でもそれを使っている。

ただ会う度に私たちは衝突していた。というのは何かモヤモヤを抱えた時に、彼は対話をしたい、私は自分さえ飲み込めばいいという致命的な違いがあったからだ。喧嘩した時は決まって私は何も言わずに彼を置いてベッドから立ち上がり、換気扇の下でスマホを弄っていた。彼はそれが嫌だったと、半年経って教えてくれた。こうしてお互いにストレスが溜まっていったんだと思う。なぜなら彼が言うように私たちは脳みそが近かったので互いに何を考えているか分かっていたし、分かっていたからこその甘えが私に生じていたから。「言わなくてもわかる」なんて魔法みたいなことを彼ができたから、自分の脳を彼に預けてしまっていた。正確に言うと彼の存在が「自分の考えを脳の外から出してくれる人」になっていたのだ。彼は私が本心じゃない言葉を吐いても「本当はこう考えてるんだよね、知ってるよ」と核の部分を理解し優しく受け止めてくれたし、上手く言葉がまとまらずに繰り出せなくても「僕の言葉をこういう受け取り方をしたから、こう思ってるよ、ってことを伝えたいんだよね」と私の考えを整理して外に出してくれていたからだ。だから私は彼と対話することをしていなかった。彼はずっと私の擬似脳と対話をしていた。


すれ違いが増えてきたなと思った夏、位置情報アプリから彼の名前が消えた。私たちは終わったんだなと悟った。深夜大きな地震があって緊急地震速報が鳴った時、とっさに私の体を覆い被さるようにして守ってくれた彼はもういないし、洗い物が溜まっていたら呆れたように笑いながら片付けてくれたりはもうない。そう思うととてつもなく喪失感に襲われた。彼はもう私のストーリーを見てはくれないし、家の近くに美味しそうなご飯屋さんを見つけたよとLINEしてはくれない。

気付けば良かった。いつもバイバイするときには必ず次会う日程を決めていたのにその日は言わなかったこと。


電話の後、私は彼が置いていった傘と歯ブラシを捨てた。まだ持っていたことはもちろん気持ちが悪いが、もしかしたら帰ってくるかもしれないと思っていたのだ。それくらい彼に恋をしていたし、彼も私と一緒に恋をしていた。ただそれが愛になることはなかった。

共通の友人の誕生日で久しぶりに彼に会った。彼女が出来ていた。彼は彼女の写真を愛しそうに私に見せてくれた。心は湿っていたが涙は出なかった。心からおめでとうと言えた。これで良かった。その日彼のストーリーを久しぶりに見た。「この本を読みながら聴くのにこの曲がおすすめ」と紹介していた。私は、ああやっぱり、と思った。なぜなら私は何の気なしにその本をその曲を聴きながら読んでいたからだ。

やっぱり彼と私の脳は近いのだ。
私しか知らなくていい。私だけ分かればいい。
そう思いながら今日、私は彼の書いた物語を読む。






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