粉雪とスノーブーツ
薄暗い建物の中は、木と埃の匂いがした。板張りの壁を埋め尽くす貼り紙は、「災害ボランティアの心得」や「センター利用ルール」といった手書きの模造紙が面積の大半を占めていたけれど、蛍光ペンの印がされた新聞記事の切り抜き、誰のだかわからない表彰状、全国各地から贈られた寄せ書き、このボランティアセンターの名前が入ったTシャツの宣伝なんかがランダムに混ざっていて、この1年8ヶ月の軌跡をぐちゃぐちゃに煮込んで乾かしたような状態だった。
「奥に和室があるから、仮眠とってください。8時に出たところで集合です」
20畳ほどの和室に行くと、ぽつん、ぽつんと雑魚寝をしている塊がいくつか見える。ひとまず靴を脱いで畳の段に座り込み、ちょうど良い隅っこまで這っていってからユニクロの薄いダウンにくるまる。硬く冷んやりした畳のささくれがチクチクした。
「眠れそうですか?」
隣に陣取った同じツアーで来た年上の女性が、小声で囁いてきた。
「いや・・・なんか緊張しちゃって」
「仮眠って言っても1時間くらいですしねぇ。集合時間の前には着替えもしたいし。本当は体力温存のために少しでも寝た方が良いんでしょうけど」
「・・・」
昨夜23時に上野で集合して、7人で夜行バスに乗り込んだ。缶チューハイを飲みながらオレンジの街灯が流れるのを見ていたら、あっという間に眠りに落ちた。バスを降りたのは午前6時。夜明け前の空から降りてきた粉雪が地面をまだらにしていく。11月の東北は大雪だろうと思い込んでいたが、内陸部は乾燥していて、それほど雪は積もらないらしい。あまり開かない喉に冷たい空気を取り込み、肩で息を繰り返す。
寝起きの私たちを迎えたのは40代後半くらいの小柄な男性。聞けば、もう1年以上ここで寝泊まりしながらボランティアをしているという。あれが私の車、と指差した小さなドイツ車は広島ナンバーをつけていた。
いつも夏休みまではボランティアが何十人も寝泊まりしていること、秋が来るとさっといなくなってしまうこと、最近は行政との関係がうまくいっておらず、移転を迫られていること、今までに会った非常識なボランティアの話・・・彼がひたすら語り続ける間、わたしは買ったばかりの紺のスノーブーツが少しずつ白くなっていくのを見つめていた。
別の若い男性が建物から呼びにきて、ようやく私たちは解放された。歩き出す8人の最後尾にいた私に、彼は小さな声で言った。
「すいません、あの人いつもこうなんですよ。でもここで一番長いから」
囁き声が強い風に流されていく。この地で生まれた河童の伝説は、この風の音から生まれたんだろうか。この風は遠く遠く吹き渡って、この後訪れる海辺の町や、わたしがつい昨日までいた東京や、あのおじさんが住んでいた広島にまでいつか届くのだろうか。
曇天の空からはまだ粉雪がふり続いていた。