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家族旅行の夢

 ガイドブックによると、ブダペシュトという街の名前は、ドナウ川西岸のブダという街の名前と、東岸にあるペシュトという街の名前を合体させたものらしい。家族で中欧3ヶ国を巡るツアーに参加し初めて訪れたその街は、その名の通りドナウ川こそが街の中心で、西岸の高台から川につきだしている王宮と、東岸の川辺からドナウ川に向かって立っている国会議事堂は、互いに見つめ合う恋人同士のようにも見えた。

 午後5時、太陽が傾きかけた時間の、ペシュトの一角にあるレストラン。店内は賑やかな音楽がかかっているけど、私たち家族しかいないオープンテラスは静かだ。白い外壁から街路へ突き出す赤い屋根を支えているポールに、植木鉢からすらっと伸びた小さな木が寄り添っている。赤と白のチェックのテーブルクロスの上には、ワイン用とお水用のグラスがいくつも林立していて、その合間に真っ白で大きなお皿が置かれている。

 「昨日の夜のリバークルーズで見た国会議事堂、あれはすごかったねえ」

 ハンガリー名物と言われるフォアグラのステーキを口に入れたわたしは、斜め横のお誕生席に座っている母の言葉に、何度も頷いた。

 「すごかったよね!真っ暗な中に金色に輝く国会議事堂があって、しかも満月で。ディズニーランドを100倍にした感じ」

 「私は川から見た方が正面っていうのが面白かったなぁ」

 「あー、確かに。日本だったら絶対参道みたいなまっすぐの道が入り口から伸びてそう」

 そう返すわたしに、大学で吹奏楽部に入っている弟が左隣から割り込んでくる。

 「そりゃあ、ブダペシュトの主役は”美しき青きドナウ”ですから」

 「それ誰の曲だっけ?」

 「ヨハン・シュトラウス」

 「君の好きな作曲家?」

 「うーん、まあまあかな」

 今度はわたしの正面に座って、会話のラリーを目で追いかけていた祖母が、切れ目を見つけて入ってくる。

 「国会議事堂って、今日行ったところ?」

 母はサラダを刺していたフォークをぴたりと止めて、

 「ううん、それは王宮よお母さん。国会議事堂は昨日の夜、川の上から見たところ。お船に乗ったでしょう」

 となるべく優しく言った。

 「ふね、乗ったかいね」

 祖母の発音した「ふね」という音を聞いて、広島で人生の全てを過ごした祖母にとって、船とは四国へ渡るフェリーなんだろうなとぼんやり思った。

 「昨日の夜、ドナウ川のクルーズに乗ったでしょう。その時に見た建物の話」

 「はあ、建物の話。それでどうじゃったん?」

 「おばあちゃん、コレコレ」そう言ってスマホの写真アプリを立ち上げ、祖母に見せる。

 「このライトアップされとるんが国会議事堂」

 「まぁ、こりゃきれいじゃねぇ」「そうじゃろ?」

 祖母は昨夜確かに同じ船に乗っていたけど、きっと違うものを見て、感じていたんだろう。母はそんな風に諦められないのか、「お母さん、昨日お母さんも一緒にみたでしょう」と、フォークを握ったまま宥めるような声を出す。

 「そうじゃったかいねえ。最近物忘れがひどくていけませんねえ」

 バツが悪そうに笑う祖母に、母と弟とわたし、3人の視線が空中で交錯した。

 「みずきちゃん、ワインはもういらんの?」

 視線を向けると、弟の正面に座っていた祖父がほぼ空になったワインボトルを指している。

 「いる!みんなまだ飲むじゃろ?」

 「一番飲むの姉ちゃんじゃん」

 「いやいやいや、あんたもまあまあ飲んどるよ」

 祖父が「好きなの決めんさい」と言った後に、

 「明日はもう帰るんじゃのう。それにしても結構な旅でした」と満足気に言った。

 わたしは祖父の顔をまじまじと見つめた。ジャケットとお揃いのチェック柄のハットはテーブルの上に置かれていて、かなり薄くなった白髪が風でふわふわしている。我が家の中では一番お酒に弱くて、今日も赤ワインをグラス1杯飲んだ後は「もうええ」と言ってお水を飲んでるけど、すでに顔全体が赤い。昭和の後半にはロータリークラブの主催でアフリカや北朝鮮に視察に行き、広島の金融機関のトップを引退した後は祖母と一緒にカナダやイギリス、スペインを旅していた祖父。わたしが祖父母と一緒に海外に来るのは中学生の頃のハワイ、一昨年のイタリアに次いでこれが3度目だけど、この人は今までどのくらい旅をして、今回の旅はその中でもどのくらい「結構」だったんだろう。

 サラダを食べるのを再開した母が「私は一昨日のチェコが一番良かったなぁ。城壁の中に赤い屋根の小さな建物がぎゅっと集まってた街。おもちゃみたいで、すっごく可愛らしくて」と言うと、

 フォアグラを食べ終わりつつある弟が「僕はやっぱウィーンかな。コンサートには行けなかったけど、オペラ座と自転車とビールと、もう僕の好きなものしかないやんここ!ってなった」と言った。

 ワインリストからワインを選び、片言の英語でなんとか注文を終えたわたしが、なるべく何気ない風を装って「おばあちゃんはどこが良かったん?」と聞くと、祖母は嬉しそうに目を大きく開きながら、

 「私もウィーンかね。あなた達が走っていった立派なお庭のある宮殿に行ったでしょう。あそこが良かったね」と言った。脳裏に黄色い宮殿の姿がパッと浮かび、ああ、それは覚えているんだ、と思った。

 「シェーンブルン宮殿ね!あそこ良かったよねぇ。うちら自由散策時間20分しかないのに、向こうの丘まで走って行って帰ってきて」

 「だって姉ちゃんが行こうって言うから」

 「いいじゃん、行って良かったっしょ?ウィーンの街が綺麗に見えて」

 「まあ、そうだけど」

 祖父は「それは結構でした」と頷いたあと、「おじいちゃんは幸せですよ」と付け足した。

 再び母と弟と視線が交錯した一瞬、テラスの外を駆ける風がふわりと頬を掠め、わたしはひとり、ブダペシュトの大空に舞い上がったような気がした。ウィーンの黄色い宮殿はセピア色になって溶け出し、中に飾られていたマリアテレジアの肖像画が迫ってくる。ハプスブルク家の最後の栄光を築き、「ヨーロッパの祖母」と呼ばれた人。でもその娘マリーアントワネットと孫息子のルイはギロチンで処刑された人・・・。途端に、目の前の赤ワインのグラスが焦点を結び、わたしは静かにグラスを取って飲み干した。

 「何言いよるんおじいちゃん、再来年またどこか行くじゃろ?次はどこがいいかね?」

 沈黙を破ろうとわざと明るく言ったわたしに、母が

 「私はイタリアに行きたいけど、あんたら一昨年もう行っとるしねぇ」と思案を始める。

 「お母さんイタリアの時、行けんかったもんねぇ。私はスペインに行きたいんじゃけど、おじいちゃんとおばあちゃんは何年か前にゆっくり行ったんじゃろ?」

 「そうそう、あれは良かったですよ。スペイン周遊」

 祖母が目をキラキラさせて、顔の前で手を振る。祖父が贈ったのだろう大粒のエメラルドの指輪が、テーブルの上に緑の軌跡を描いた。

 「お父さん、いっぱいビデオ撮って帰ってきたもんね」

 母はきっと、祖父母が確かに行ったという記録があることが嬉しいのだろう。

 「そういや私が高校生のころ、家でずっと編集しよったね!?あれか」

 「それそれ」

 少しの間じっとしていた祖母が、ふと目の前の一点を見つめながら、

 「私はね、モンサンミッシェルに行ってみたいんよ」と言った。

 「おぉー、モンサンミッシェル!おばあちゃん何で知ったん?BSで見たん?」

 「何で見たんかねえ。とにかく行ってみたいんよ」

 いつになくきっぱりした様子の祖母に、一瞬みんなが黙った。モンサンミッシェル、この中で私だけは大学の卒業旅行で行ったことがある。広島の宮島と姉妹都市だというので似たような雰囲気を想像して行ったら、温かく穏やかな瀬戸内海とは打って変わって、冷たい北の海に監獄のようにそびえる石造りの修道院に驚かされた。その修道院の中で唯一、緑が生い茂りタンポポが咲いていた美しい中庭は、まるで天国のように見えた。

 「みずきちゃんはええん?前に友達とフランス行っとらんかった?」

 「行ったことはあるけど、ええよ?1日しかおらんかったけ、心残りはいっぱいある」

 「じゃあ、次回はフランスかのう。わしもしばらく行っとらんし」

 祖父がそう言って、母が「どうしよう、新婚旅行以来だから・・・30年ぶり?」と思い出話を始める。

 わたしは再びブダペシュトの大空に舞い上がる。雲がすごい勢いで流れ、人々はもっと速いスピードでちょこまかしている。小さな街に鉄道が敷かれ、建物が増え、馬車が車に取って替わられる。軍隊がやってきて殺し合いが起き、さまざまな赤い旗がたなびき、王宮が破壊されやがて修復される。さまざまな音声が飛び交う中、抑揚があまり大きくないのに独特の調子があり、まるで唄っているような言葉が風に乗って聞こえてくる。チェック柄の帽子をかぶった老人が立ち上がり、タクシーに乗り込んでいくのを、わたしは空の上から見ていた。

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