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居合わせたカフェでの感情のざわざわから【平穏第一】が明確に。
今日は、感情がざわざわ、ってなりました。
あるお店にいると、隣でミーティングをしているひとたち。
私は関係ないのだけれど丸聞こえだったから、
つい、気を持って行かれました。
今後ミーティングをする「場」がなくなるという発表を聞き、
ひとりの女性が声をあげました。
どういうことですか!
そういうの、どうかと思います。
経営が甘いんじゃないですか?
出資してるんですか?
どういう関係なんですか?
そうやって急に終わらせるっていうのは違うと思います!
そこのところ、組織としてどうお考えですか?
などなどなど・・・言われた方もたじたじ。
私のことではないのに、
無意識にこの「言われている側」になってしまって
なんだか居心地が悪かったです。
感情が、うわわわわ・・・と。
とはいえ。
この方が悪い人じゃないんだろうということは理解できました。
この女性なりの「正義」があって
みんなを代表して白黒はっきりさせたい!とか
思ったことは言わないと意味がない!とか
知らない方だけれども
感情的というわけではなさそうだし
自分の意見をガンガン外に出すタイプ、なんだろな~って思いました。
でもこれを聞いて、
私の感情がざわざわとこすられるということは。
私の価値観として受け入れたくないものなんだと、
はっきり分かりました。
違う言い方をしたら、良いのに。
違う可能性だってあるかもしれないのに。
言う相手が、違うかもしれないのに。
言えない事情も、あるかもしれないのに。
そういう感情をもった私は
やっぱり【平穏】が好きだし
【平和】をどこまでも求めるんだなぁと
くっきり、自覚しました。
もちろん、はっきり言う方がいてもいい。
でも、私はそれを選択しない。
そして。
「違う可能性」という存在を意識しているかどうかで、
私の感情って動くのだなぁということも分かりました。
ずっと小さなころから「誤解」されたくないという思いを
「誤解されている」という感情を
強く持って育ってきたから、
理解されないと感じて育ってきたから
「そうじゃない人もいるかもね」という片鱗が見えると
この人は決めつけない人だ、
たぶん、安全な人だ、
と、認知するようになっている気がします。
それが分かるようになるまでは、
ずーーっと
「どうせわかってもらえない」という感情が
無意識のところで渦巻いて
そこから
なんかイライラする
なんか嫌い
なんか話したくない
だから言わない
・・・という状態をつくりだしていました。
その状態を、
ノートに感情を書き出すワークをしたり
セッションをしてもらいながら
少しずつほどけてきた気がします。
今日は言い方のきつい見知らぬ女性の声を聴き、
私の中の昔の私が
「あ、これいやだったやつ」と反応して
ざわざわとしたのでした。
きっと、
私が自分で平穏を望んでいることとか、
私が無意識のところで持っていた感情とか、
そのあたりを「意識」できるようになる前だったら
いたたまれなくなって泣くとか、
1日感情をひきずったり、していたかもしれません。
心拍数は上がったけれど、その場を離れたら
客観的に感情をみられたので、大丈夫でした。
私の娘も、ひとごとを我がことのように受け取ってしまって
ダメージを受けるタイプ。
繊細気質といわれるタイプなんだと思います。
それを自覚するようになってだいぶ、
自分の気もちと、ひっぱられただけの気もちを
整理できるようになってきた気がします。
とはいえ、ン十年経った今・・・
もっと早いうちから、知りたかったー。
娘にはひとまず、
それって変じゃないんだよ。
自分で感じちゃうっていうのはすごい能力なんだよ。
そう、伝えています。
まだ8歳なので、あと2~3年は
自分の世界は自分のものであることを、
比べて優劣つけるものではないことを、
伝え続けようと思います。
ひとの気持ちをすっぽり感じてしまう、
ひとの感情に引っ張られる、
そんな方、ほかにもいらっしゃるでしょうか。
感情を誰のものか、で分けていくと、
わりと生きる息苦しさが減って来る感覚があります。
あ~でも、ざわざわは体に物理的にも力が入るから、
つかれたー
「私の感覚」が明確になったこの時間に居合わせて
つかれたけれど
ありがとうございます。
これからも私が自然にいられる「平穏」を望んでいきます。
おやすみなさい。