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「ノート」自分が自分に接する態度が、世界から自分への態度なのだと。

こんにちは、深月です。

最近ノートを書いていて、しみじみ感じること。
世界が優しい場所なのかどうかは、結局その人が自分自身にどう接しているかを鏡写しにしているようなものなんだ、って。

私が私自身を否定して、
”もっと自信を持たなきゃ”とか、”もっと他人と上手に付き合えるようにならなきゃ””もっと頑張って認めて貰えるようにならなきゃ”とか、自己否定ばっかりしてた頃。
世界はとても厳しい場所だった。

何かあればすぐに陰口を叩かれる。仲間外れにされる。
会社でも全然認められなくて、怒られてばかり。

それが今、
世界は大丈夫な場所だって安心して私は日々を過ごしていられる。

もちろん、
仕事で失敗をやらかす事もある。
同僚と上手くコミュニケーション取れてないなーって感じる事もある。
上司に全否定かよ、って勢いで怒られることもある。

でも、それが「私の存在を否定された」とか「私って生きてる価値ない」みたいな自己否定へ結びつかなくなった。


たとえ陰口を言われていたとしても、それが自分の至らなさのせいだと自分責めに転換する事もない。ただ価値観が合わないのだな、とか、あの人は私の陰口を言いたいのだな、まあしょうがないじゃないか。もうちょっと私も彼女たちに合わせてやろうか(何様)なんて考える余裕すらあったりする。


別に、外側の人たちの何かが変わったわけじゃない。
私は以前と変わらぬ会社に勤め、以前と同じ人たちに囲まれ、以前と同じ日々を過ごしている。

変わったのはただ一つ、私の感じ方、だけだ。
私は私を、否定しなくなった。
弱い私も、卑屈な私も、他人が怖い私も、自分を変えたい私も、全部が私だと思えるようになった。


そうしたらいつの間にか、世界は私を傷つける場所でなくなっていたのだ。

ノートに全部を出す。弱い自分も、腹黒い自分も。

で、唐突にノートなわけですが。

ノートと言ってもこの場所の事ではなくって。
元は、藤本さきこさんの言う「設定変更」という手法の中でのノートの使い方。長くなるので今回、詳しい説明は省きます。

まあとにかく。
日ごろ感じた事を全てノート書きだす。

書き出すんです。ぜーんぶ、否定せずに。


いきなり怒鳴りつけてくる上司に対する「何で突然怒鳴りつけるんだよ馬鹿じゃねえの、私ちゃんと確認したよね、お前了承したよね。何なの馬鹿なの記憶障害なの」みたいな罵倒から、

給湯室でひそひそやっている女子たちに対する「また寄り集まってひそひそとかどうせ私の悪口で盛り上がってんでしょ、そうやって裏で人をコントロールするの上手いよね、ふざけんなこっちは真剣に仕事してんだよつまんないプライドで足引っ張るんじゃねえよとっとと消えろ」みたいな腹の底のどろどろした思いまで、全部。

書き出して、感じてあげる。味わってあげるんです。

湧いてきた感情を否定せずに、ちゃんと味わってあげると、最初に感じていた怒りなどの奥から、違う感情がそっと顔を覗かせてくる。

それは大概、
「分かって欲しかったのに、否定されて悲しかった」とか
「仲良くしたかったのに、誤解されて悲しかった」とか
そんな風によわよわしくて、寄る辺のない子供の様な顔をしている。

でもそれこそが、いわゆる本音の部分で、
今までないがしろにして無かったことにしてきた、まぎれもない私自身の気持ちなんだよね。

ノートに書きだす事で、そんな子供みたいな気持ちを自分が抱いていたことに気づく。
ああなんだ。私ってただ、分かって欲しかったんだ。
わかって欲しい、仲良くして欲しい、大事にして欲しい、そんな事を望んでたんだ、そう気づく。

それだけで、内側での癒しが起こり始める。


私もそうだったけれど、
自己肯定感が低い人、自己受容が出来ない人は、
子供の頃からずっと「こんな事思っちゃいけない」「こんな風に感じる私はおかしいんだ」って自分を否定する訓練ばかりを重ねてきていると思う。

その自己否定の積み重ねが、自己肯定感を損ない続けてきていたわけだし、
そうやって自分で自分を否定している事が、世界も自分を否定しているように感じてしまう事に繋がっている。

だからまずは、ノートに書き出す。
自己肯定感を上げなきゃって色々な方法論を読んで迷子になっている人、引き寄せとか嫌われる勇気とか試して上手くいかなかった人に、猛烈にお勧めしたい。

ノートしようよ。
自分が自分に寄り添おう。












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