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全ての願いが叶うよ、なんて口が裂けても言えないけれど。

「絶対にあなたは幸せになれるよ」とか
「望めば全ての願いが叶うよ」という言葉を目にすると、何だかすごくもやもやとする。

絶対に叶わない願いだって、この世界には存在している。私たちは不老不死にはなれないし、永遠に愛する人と共にいる事はできない。
そういう、絶対的に叶わなくて、でも根源的な願いを棚に上げて、「私たちは望む通りの現実を創れる」って言うのは無理があるんじゃないの。
そんな風に反論したくなってしまうのだ。

たぶん、これは僻みなのだと思う。
胸を張って言い切れる人、自信を持って言葉を放てる人への。


ありもしないものを「あります」って言おうとして、苦しくなった事。

ブログの新着記事一覧には、幸せへと鼓舞する言葉が並んでいる。
〇〇をすれば、望み通りの現実を創れますよ。潜在意識を書き換えれば、ブロックを解除すれば、思い込みを無くせば、望んでいることが全て叶いますよ。


並べられた言葉に、惹かれる自分も確かに存在する。

いつでも笑顔で誰からも愛されて、望むだけのお金が手に入る人生。いつでも笑顔でいられて苦しい事のない人生。欲しい。とっても欲しい。私にも絶対に間違いなく手に入るなら。

一瞬迷う気持ちを、アップされたお客さんの感想や、キラキラの笑顔の写真が打ち抜く。もしかしたら。本当に本物なのかしら、と提供しているサービスのページを見に行ったりしてみる。


私の心がこんな風に動くという事は、少しぐらい大げさだろうと、言い切る事って商売をする上で大事なんだろうと思う。
欲しいものがそこにあるって気付いてもらわなければ、集客は成り立たない。「叶わない願いもありますよ」とか、「全員が変われるわけじゃないですよ」なんて言っている人へ、お金を払って申し込みをしようなんて、よっぽどの変人だろう。


そうだよ宣伝活動だよ。社会人なんだから、ある程度は割り切る事も必要だよ。会社勤めをしていれば、そうやって割り切って自分の考えとは違う行動をしなくちゃいけない場面なんて山ほどあるじゃん。
そう一旦は頭で割り切ってみても、いざ自分のブログで発信をしようとすると、抵抗する私がいるのだ。

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だって、私はそんな風に自分の事を信じられていない。絶対に全ての人を幸せにできるとか、私が幸せを感じられるようになるまでに取った方法が、誰にでも当てはまるとか。

そして、立ちすくむのだ。
何をどう書けば、ここから進んでいけるのだろう。職場以外の場所で、私を役立ててみたいという願いに近づけるんだろう。


以前に受講した起業のためのブログ講座でもそうだった。
── 必ず幸せになれますよ、と言いきる事。私の所へ来れば大丈夫ですよと宣言する事。自信が無い姿は見せない事。苦しかった過去の話をちらりと見せて、相手の苦しみには共感しつつそこを深追いしない。
大丈夫ですよ、私の所へ来れば解決してあげますよ、とひたすら間口を開けてまずは見込客になる人を大量に集めよう ──


その教えの通りに書こうとすればするほど、苦しくなって、しまいには書けなくなった。教えられたとおりの記事を楽し気に更新し続ける仲間を見ては、同じように行動できない自分の頑固さや幼さに、絶望したりもした。


その講座はとうに終わって、柵は無くなっているはずなのに、相変わらず、自分ビジネスを始めるために宣伝をする事。そして自分の気持ちに正直である事。この二つの間で板挟みになって、進めずにいる。


教わる事は、選択肢を増やす事。苦しいのなら、違う方法を選んでも良いじゃないか。

相変わらずおんなじ所でつまずく自分をどうしてくれようと思っていた時に、タイミングよくコピーライターのさわらぎ寛子さんが、こんなnoteを書いてくれた。

自分の商品やサービス、お店や会社の魅力を伝えるには、商品の説明ではなくて、「相手にとってどういいか」「それで相手がどう変わるか」を伝える必要がある。

私は講座でも、本でも、いつもそう伝えているのですが、そう言うと、「でも、まだ、こうなれます! と自信を持って言えるものがありません」という答えが返ってくることがある。

それは、素晴らしいことだと思う。

だって、「こうなれると言えないこと」でも、ジャンジャン書いちゃえばいいじゃん、「嘘・おおげさ・まぎらわしい」全然OK〜! ではなくて、ちゃんと今の自分に書けることを書きたい、という誠実な姿勢だから。

ぐるぐる悩んでいた気持ちが、この文章でちょっとだけ軽くなった。
こう言ってくれる人もいるんだ。それだけでも、なんか心強い。

そしてふと湧いたのが「教えられた事に、縛られすぎていたのかもしれない」という想いだった。


教わった事は確かに正しかったのだろう。実際に効果を上げた人もいるようだし、多くの人に当てはまる公式ではあったのだろう。
けれど、それが「全員に当てはまるただ一つの道筋」なのだろうか。冷静になって考えてみれば、全く違う発信方法で成功している人だっている。


現に、私が好んで読みに行く人のブログは、教わったテンプレには一つも当てはまっていない。けれどその人らしさ、抱いている想いに惹かれて、また読みに行きたくなるし、チャンスがあれば会いに行きたいと思う。


もうこの時点で、教えられた事が唯一の正解ではない事が明らかだ。

だったら、自分で自分を縛りつけて出来ない自分を責めるのはもうやめよう。一つのやり方を教えてもらった。それをやってみたら私には合わないという経験ができた。以上。
大きな言葉で「幸せになれるよ」「この方法なら願いが叶うよ」と叫んでいる人たちだって、人生における選択肢の一つを提示してくれているだけだって思えばいら立つ必要も無い。


教えてもらうって事は、自分の内の選択肢を一つ増やす事だ。
大事なのは、そこで得た経験から「自分がどうしたいか」を選択する事じゃないだろうか。


じゃあ、私はどうしていきたい?

じゃあこれからどうしよう?という部分にも、さわらぎさんがヒントをくれていた。

まだ、今の自分には、お客様に約束できることがない。という人は、「こうなりたい」レベルでもとにかく書いてみることだ。

書いて、それを宣言して、その言葉に自分を近づけていけばいい。

言ったからにはやらなきゃ、と自分をそこに向かわせる。
そうなっている自分を設定して、言語化して、言葉に自分を近づけていく。

言葉が自分を引っ張っていってくれる。

「こうなりたい」「こういう変化をもたらしたい」それを今の自分の言葉で書いて宣言をしてみたらどうだろう、と。


さて私の場合はどうなのだろう。


今思いつく事だと、例えば今回の記事で語ったような内容。
「学ぶことは自分を縛る事でなく、選択肢を増やす事だ」とまなざしを変えるだけで、悩みやモヤモヤが前へ進む原動力になる。そんな違う視点の持ち方を伝えたいと思う。

「こうすればすべての願いが叶う」と何かを信じる事を強要するのではなくて、「願いを抱けることそのものが幸せ」っていう視点に立ってみたら叶わない苦しさが薄れて、願いを叶えるためにシンプルに行動できる自分になれるよ、そんなヒントを伝えていきたい。

大きなことではなく、小さな事から。
毎日の暮らしの中から、日々を生きやすくしていくヒントを伝えてみたいと思う。



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