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挑戦は、自分の中では古いかも。

長年、こうするべきという自分で作った、もしくは刷り込まれたモデルに縛り付けられて、そうでない自分を許せなかった。許せないというエネルギー値ならまだよかったのだけれども、こうするべきという型に自分を寄せようと必死に努力してきた。自分の心や体の声を全く聞くことができなかったから、年中具合が悪く、体を引きづりながら生活していた。体が悲鳴を上げてそれで休む。そこで「あ~もっと自分の体の声を聴いてあげないと」と思うのだけれど、どうやったらいいのかわからなかった。
何かを成し遂げて、「凄い」と言われると気分がすごくよかった。でもまた次のことへの挑戦が始まる。それがスバラシイ生き方だと思っていた。
目標をもってそれに挑戦し、達成する生きかたは素晴らしい、そうあるべきという社会に私たちはいる。
本当にそうであろうか。
無理してない?
そろそろそれを疑ってかかってもいいのでは?

挑戦するのをやめていい社会、それを許す社会、逃げることを許す社会であってもいいのではないか。それって社会の許容力を高めるという事、一つの型にはまらないものは許さない、排除する世界を変えていこうという思い。

愛の世界に人が向かっていったらいいなと思う。

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