見出し画像

【読書記録】No.5 VISION DRIVEN 〜直感と論理をつなぐ思考法〜

【まえがき】
「must」で溢れていた部活動時代。言われるがままに規則に従順になっていた。
なぜなら理不尽を半ば強制的に腹落ちさせることが当然であり、
何より自身があまのじゃくであることを恐れていたから。
(あくまでこの意見は、団体の断片的な側面を切り取ったに過ぎませんが、、!)

しかし「なぜこのルールがあるのだろう?」という問いを立てるか否かで、結果は同じでもプロセスが違う。

「何者か」になるためには、まず目の前の当たり前や慣習に問いを立てることが大切だと学びました。


【タイトル】
VISION DRIVEN 〜直感と論理をつなぐ思考法〜

【著者】
佐宗 邦威

【印象に残った文章】

〈人が「自分らしい思考」を喪失する4つの原因〉
⑴内発的動機が足りない(妄想)
 ┗僕たちの日常は「やらなければならないから、やっていること」で占められている。日常に「want to」はあるか?

⑵インプットの幅が狭い(知覚)
 ┗「情報が溢れる時代」。しかし、こうしたフィルタを通じて得た情報は「あなたの似た誰か」が欲した情報でしかない。
逆説的に響くかもしれないが、「あなたのためにカスタマイズされた情報」に触れれば触れるほど、あなたの頭の中は「他の誰か」と同一化していく。

⑶独自性が足りない(組替)
 ┗SNSでは、他者評価を可視化する「いいね!」のような機能がある。すると、他人から称賛されやすいものばかりになり、似た投稿が世の中に溢れることになる。だからこそ、インプットへ情報にどれだけ付加価値を施すかの思考習慣がなくなってきている。

⑷アウトプットが足りない(表現)
 ┗情報のインプットコンテンツが溢れる時代。しかし、そこで学んだことを外部化する機会がないため、いつまで立っても「その人なりの視点」が生まれてこない。

⇨僕たちの時間は「やるべきこと」で溢れているからこそ、「何もしない状態=余白」に価値がある。
「余裕ができたら、やってみよう」ではなく、まず先回りをして余白を作る。
日本人は「理不尽や不合理の我慢」を美徳とするカルチャーを持っている。これは自己表現が自由にできる現代において制約でしかない。日常の違和感を嗅ぎ取ったら、それを押さえこまず正直に「おかしいな」と立ち止まって言葉に起こす。
日常の「常識」に隠れる「ツッコミどころ」を探索を意識する。「当たり前」の前で立ち止まり、「本当にそうなのかな?」「そもそもこれって」と考えてみる。
今の時代、60歳の定年まで同じ会社で働く人は少なくなっていく。どこかで必ず自分なりの「獣道」を歩くのが当たり前になってくる世の中だ。自分で自分のキャリアを作っていく時代に求められるのは、自らの「北極星」を決め、不確実な道を歩いていくライフスキル。
【ネクストアクション】
・今すぐ無地のノートを買って、自分の喜怒哀楽のあらゆる感情を書き殴ろう。自由に、大胆に、思いのままに。(空間的余白)
・あえて何もしない時間をスケジュール予約しよう。「must」で埋まる、日常の鎖を取っ払おう。(時間的空白)
・「常識の列挙」→「その常識の逆」を思考する習慣が人生を変える。

いいなと思ったら応援しよう!