【読み切り短編】レンズ越しの君へ
幼少期から続けていたと胸を張って言えるものが僕には何一つない。
卒業式を終えクラスメイト達が校門に集まり別れの挨拶や記念撮影をしている。それを横目に僕は“彼‘’を待つために写真部の部室へと向かう。
グラウンドに面した旧校舎1階にある部室の前につくと後輩達の声が聞こえてくる。あぁ、今日でみんなともお別れなんだな。そんな考えを他所に後輩達が僕を待ち構えてざわついているのを感じながら部室のドアを開けた。
「部長!ご卒業おめでとうございます!!」と数少ない後輩たちが明るく出迎えをしてくれた。嬉しいのだが、クラッカーを鳴らされるのは流石に恥ずかしい。
黒板に目を向けると大々的に卒業を祝う文字の下に『コンテスト入選おめでとうございます!』と書かれているのが目に止まった。僕にとっては時期的にデリケートな話題でも彼らにしてみればお祝い事である事に申し訳無さを感じてしまう。
「みんな卒業のお祝いありがとう、それとコンテストの件なんだけど、ごめん。賞が欲しかったのだけれど無理でした!来年度は僕が得られなかったものをみんなには取って欲しいと思います!以上。」
「部長。何言ってんすか、僕たちは入選すらしなかったんですから。部長は十分すごいですよ。あの写真」
ありがとう。その言葉だけしか見当たらなかった。
結局その後は後輩達と談笑したあと、カラオケに行って打ち上げをしようと言う後輩達の誘いを断り、僕は夕日が差し込む部室で一人、会えるかもしれない“彼”を待つことにした。
高校に入学した頃、この学校では部活は強制参加であると知り仕方がなく入った写真部でカメラを初めて触った。適当に撮って適当に現像して適当に飾って置く。部活なんてただそれだけの時間だったのに、ある日の部室で“彼”と出会ってからは真面目に写真と向き合うことになった。
その日は快晴でちょうど今と同じ部室やグラウンドがオレンジに染まっていた時だったと思う。部室で一人カメラの手入れをしている時だった。
「あの、すみません。野球部なんですけど、ここって写真部ですよね?ちょっと一枚写真撮って欲しくて、お願い出来ないですか?どうしても今撮って欲しいんですよ。」
部室の窓を開け、元気よく話しかけてきた焼けた肌に汚れたユニフォーム姿の“彼“の瞳は、夕焼けに照らされきらきらとひかっていたのを今でも覚えている。
なぜ写真を撮る必要があったかと言うのは校内誌で“彼”を特集する事になっていたらしく、文芸部がインスタントカメラで撮った写真を“彼”曰く「俺はもっとハンサムのはずだ」という理由で気に入らなかったというのだ。それで誰でもいいから写真部を捕まえて撮らせるといった流れだったらしい。仕方なくカメラを準備してグラウンドに出向いた。予備のきれいなユニフォームに着替えた“彼”にレンズを向ける。
後で知った事だか“彼”は僕と同じ当時1年生だったのに野球部のレギュラーとして活躍していたらしい。校内でも女子からの知名度は高いのだという。
今その写真を見返すとポートレートにしては絞りが甘くピントがずれていて酷かったなと思う。なのに“彼”は出来上がった写真を見て「やっぱプロは違うなぁ」と言ってくれたのが何者でもない僕が初めて誰かに受け入れられた瞬間だったと思う。まぁ当たり前にプロではないのだけれど。喜んでくれる誰かがいるっていうのを知った僕がカメラの勉強をするようになったのはその時からだった。
それから時々決まって僕が一人の時、部室に“彼”が顔を出すようになった。相変わらず突然「卒業する先輩との思い出に写真撮って」だの「4番になった記念に写真を撮って」挙げ句の果てには「近所にかわいい猫がいたから撮りに行こう」なんて顔に似合わない事を言い出すまでになった。相変わらず出会った時のまま、目をきらきらさせて。
普段校内ですれ違っても殆ど会話をすることはないのだけれど、部室で会う時は次第にお互いの事を話すようになっていった。僕の心に糸が巻き付くような感覚が起こったのはその頃からだと思う。
その正体が分かったのは3年生になる前、春休みのことだった。
「俺さぁ、プロ目指してるんだよね。プロ野球選手。お前はなんかそういうのないの?」
“彼”の何気ない一言で一気に心に巻き付いた糸が締まりつく。
あぁ、そうだった。
はじめから“彼”と僕には決定的な違いがあったんだった。
“彼”は幼い頃からずっと野球を続けて野球と向き合って生きてきたのだ。そして“彼”には才能があった。
僕は単に何にも向き合わず、そして何にも才能がなかった。
ただそれだけのことなのに。なにも言葉が出ない。
巻き付いた糸が解けてはいけない気がした。必死に糸が解けないように、悟られないように言葉を出した。
「夢かぁ。なんも考えてないや。特になりたいものとかないかな。」
怖かった。本当の事を口に出すと“彼”にはきっと雲を掴むような事だと思われるんじゃないかと。
「そっか。まぁ人それぞれだもんな。俺さ”次の試合”は絶対活躍してやるから、良かったら観に来てよ、カメラ持ってさ。」じゃあと言って“彼”はグラウンドに戻って行った。
何も言葉を返せないまま。僕は消えて行く“彼”の背中を目で追い続けた。夕日が“彼”を照らしとても眩しく輝いて、目を当てるのが苦しくって、同時に心に巻きついた糸が解け始める。僕も“彼”のようにきらきらと光っていたかったんだ。
それ以降、“彼”が写真部に来ることはなかった。
昔の事を思い出しているとすっかり日は暮れて、正門から流れてくる声もなくなっていた。あぁ、もう帰らないと。僕は何故、“彼”が部室に以前のように現れるんじゃないかと期待していたのだろう。カバンを持って椅子から立ち上がろうとすると部室のドアが開いた。
「部長一人でずっと部室にいたんですか?もう校門しまっちゃいますよ!早く帰りましょうよ」
「もう帰ろうと思っていたところだよ。ありがとう」
「あ、でも、逆に部室にいてくれて助かりました。これ、部長への届け物です。」
忘れ物を取りに来たという後輩の女の子に1枚の封筒を渡された。
「さっき校門で卒業生の人に渡されたんです。部長に渡してくれって。じゃあ私カラオケ戻るので、部長もたまには顔出して下さいね!」もう部長じゃないんだけどな。
後輩を見送ったあと、封筒を見てみる。少し雑な書体で『お礼』とだけ書かれた封筒には1枚の写真が入っていた。
裏面を見ると『俺はあんなに上手く撮れないよ!』とだけ書かれていた。
もう一度写真を見返す。
思わず笑ってしまった。
全く、いつの間に撮ったんだろう。
そこには全くピントの合っていない、いつかの僕の姿が写っていた。
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