#198 生きて居てくれることが幸せなのです
日本は母の日でしたね。
イギリスのMothers' Dayは3月なので、日本の「母の日」を忘れる年も多かった。
今は note の皆さんの投稿を読ませていただくので、結構ついて行けている。といっても、終わってから知ることもたまにあったりするのだが‥‥
母に電話した。
やっぱり楽しかった。
いつも元気をもらえる。
母は、嫌なことがあっても痛いところがあっても、不平不満や泣き言を言わない。会話を終えてこちらの気が重くなったということがない。
まあ父のことを、「何もしない、ご飯作っても食べない、お風呂に入らない‥‥」なんてことだけは相変わらず報告してくるけれど。
これも違うことを言われたら逆に心配になるくらいに、これはこれでお馴染みの日常だったりするのだ。
この母の物忘れが激しくなっていることを、この note に書いたばかりでした。
電話のなかで、きっと次回は忘れているだろうと思いながらも、こちらの家族の話をする。母は絶妙な聞き役ぶりをみせてくれている。ホッと安心して会話を終えるべく、最後に
「こないだみたいに倒れて骨折ったら困るから‥‥」と次を言いかけた時、
「は?誰が骨折ったん?」という母。
は、骨を折ったというよりは尾てい骨にヒビがはいりましたよね?
「え?知らん、ほんなこと。誰の話や?憶えとらんよ」そう言い切った母に、沈黙しそうになりながら、なんとか話を繋いだ。
これには本当に驚いてしまった。
つい2か月ほど前に母は廊下で眩暈だったのか貧血だったのか、後ろにバタンと倒れ、腰が痛むあまり動けず、その場で凍り付いたようになった。父の名を何度も呼んだが、扉の反対側でテレビをつけている耳の遠い父には届かない。母が発見されたのは、父がようやくトイレに行こうと廊下に出た時だったという。実際、救急車で病院に搬送されたのだ。そして尾てい骨に入ったヒビが治るまでに何週間も自宅療養が必要だったのだ。
普段何もしない父が、自分で食事を作り、母のごはんも母のベッドまで運んでいたのだ。
ところが、そんなに痛い目にあった本人が、そんなことがあったことさえ憶えていなかった。
孫がどこに住んでいるかを忘れるくらいは仕方ないとしても、自分の経験したこんな衝撃的なことさえ忘れるんだ‥‥
まあ言い換えれば、腰が完治して何の不自由もないからそうなのだろう。
なんか、「良い」でも「悪い」でもなく、すごいな!と思った。
「乗り越えた」から忘れていられるんだ。
私にもこんな日が来ると想像に難くないので、母の変化を認識していきたい。
老いから目を背けることのないように‥‥
最後に母になにか言いたくて、
(簡単に会えるわけじゃないけれど)あなたが生きていて、そこに居てくれることが、私の幸せなのだということを、とっぷり郷里の言葉で伝えた(気恥ずかしいので書きません)。
「あらあ、ほんな嬉しいことゆうてくれてあんやとぉね。」
ああ、逆に母にお礼を言わせている‥‥
「( I ) love you!」は家族のなかではスッと出てくる言葉だ。電話を切る際に義母とも子ども達とも言い合う。
何を言うのに恥ずかしがる歳でもないというのに、
日本語になると、「愛してる」は言いにくくて、なんと言いかえれば想いがスッーっと伝わるのか‥‥と、模索してしまう。
産んでくれてありがとう
いつもありがとう
居てくれてありがとう
これからも、ありがとう‥‥