#10 母の日はすべての女性の母性の日
今日、3月14日の日曜はMothering Sunday (マザーリング サンデー)、イギリスでは母の日である。
これはもともと、地方から出てきた人たちが休暇を貰って、地元の母教会( Mothering church) に戻って礼拝するという意味から来ているが、同時に、久しぶりに母親に会いに帰るということでもある。
それがいつの間にか、おかあさんに感謝を捧げる日というふうに定着したといわれる。毎年変動するイースターサンデーからちょうど三週間前の日曜と決まっている。今年はたまたま日本のをホワイトデーと重なったようだが、来年の日付は調べないとわからない。
例年は、買い物に行けば、花束やプレゼントのコーナーがこれ見よがしに置かれているため、この日を忘れるということはなかなか無理な日ではある。
だか今年は、ロックダウン中のイギリス。極力買い物に行かない私は、母の日を思い起こさせるものを今年は見ていない気がする。おとといあたりにひょんなことから気がついただけだ。
私にとって母の日とは、夫の母へ何を贈ろう、どんなカードを作ろうかとそのことばかりに集中して、おお、自分も母だった、という感慨が後からついてくるような日だ。
こどもたちが小さかった頃は、母の日といえば、こどもたちがコソコソ揃って寝室に入ってきて私を起こす。その膝の上に載ったものから私の一日が始まった。それはトレイに載せられたコーヒーと焼きたてのパンケーキやクロワッサンや、フルーツ、手作りのカードだ。Breakfast in bed (ブレックファーストインベッド) なんて幸せすぎた。
もう、思い出を抱えて生きていけるほどのしあわせを経験できたのだから、これ以上は望むべくもないと思っていた。
そしたら、
18歳の息子がクランペットと手作りカード、プレゼントのチョコレートを持ち、夫がコーヒーを持って寝室に入ってきた。
おお~~。
ありがとうありがとう、といって食べた。家族全体に子どもたちの小さかった頃のワクワク感はもうない・・・
ただ気づいたことがある。この母の日ブレックファーストインベッドが私の最後だったかもしれないということ。
来年の母の日には、ほかの子どもたち同様、この末っ子もきっと家にはいないのだ、と。
私はどうもまだ起きていないことを想像してセンチメンタルになる癖があって困る・・・
今日は母の日。
私の教会では、毎年、水仙を数本束ねたものを、「Happy Mothers' Day!」と子どもたちが言っておとなの女性全員に手渡して回る。結婚されてなくても、お子さんがなくても、どんなにお年を召していても‥
私はこの時に、いつもウっと感動してしまうのだ。
全ての女性が「母親」ではないかもしれない。でも、その人は地域で、職場で、自分のいるその場所で、誰かのおかあさんに必ずなれるというのだ。
To mother someone... 英語の Mother は『母』という名詞だけでなく、母のような思いやりと慈悲の心で誰かをケアする時の動詞としても使われる。
多くの人を包み込んでいる社会の「おかあさん」を私はたくさん知っている。
だから、すべての女性の母性が尊くて「ありがとう」の日なのだ。
子どもを産んだ人だけの日じゃないよ。
Happy Mothering Sunday 💗
↑ こんなのを書きました。読んでくれると嬉しいです。